葵祭と第16代斎王(賀茂斎院)・選子内親王

葵祭と第16代斎王(賀茂斎院)・選子内親王

葵祭では810年(弘仁元年)に嵯峨天皇が薬子の変で勝利したことから斎王が設けられました。選子内親王は975年(天延3年)に斎王になり、円融天皇・花山天皇・一条天皇・三条天皇・後一条天皇の5代・57年に渡って斎王を務めました。

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【葵祭日程(要確認)】
葵祭・路頭の儀は例年5月15日に行われます。ただ悪天候の場合、翌16日に順延されます。
葵祭2024日程(時代行列・流鏑馬神事・・・)
●葵祭路頭の儀では人約500名・馬約40頭・牛4頭・牛車2台・輿(こし)1丁などの時代行列が巡行します。
葵祭路頭の儀

【葵祭 歴史・簡単概要】
葵祭(あおいまつり)は古墳時代後期の欽明天皇の時代(539年~571年)に京都をはじめ全国が風水害に見舞われて飢餓・疫病が流行し、賀茂大神(上賀茂神社・下鴨神社)の崇敬者・卜部伊吉若日子(うらべのいきわかひこ)に占わせられたところ賀茂大神の祟りであると奏した為、4月吉日を選んで、馬に鈴を懸け、人は猪頭(いのがしら)を被り、駆競(くち・かけくらべ)して盛大に祭りを行ったことが起源です。その後819年(弘仁10年)に律令制度の中で最も重要な恒例祭祀(中祀)に準じて行われる国家的行事になり、平安時代中期に祭りと言えば、葵祭のことをさすほど隆盛を極めました。
葵祭歴史年表・由来

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【葵祭と第16代斎王(賀茂斎院)・選子内親王】
葵祭では810年(弘仁元年)に第52代・嵯峨天皇(さがてんのう)と兄・平城上皇(第51代・平城天皇(へいぜいてんのう))が対立して薬子の変(くすこのへん)が起こり、嵯峨天皇が賀茂社(上賀茂神社・下鴨神社)に皇女を賀茂社の神迎えの儀式に奉仕する阿礼少女(あれおとめ)に捧げると祈願し、薬子の変で勝利したことから斎王(賀茂斎院)が設けられました。選子内親王(せんしないしんのう・のぶこないしんのう)は975年(天延3年)に第16代斎王(賀茂斎院)に卜定されました。「日本紀略(にほんきりゃく)」976年(貞元元年)9月22日の条に大内裏の大膳職で初斎院(しょさいいん)したことが記されています。その後選子内親王は第64代・円融天皇(えんゆうてんのう)、第65代・花山天皇(かざんてんのう)、第66代・一条天皇(いちじょうてんのう)、第67代・三条天皇(さんじょうてんのう)、第68代・後一条天皇(ごいちじょうてんのう)の5代・57年に渡って斎王(賀茂斎院)を務め、歴代最長の斎王で、「大斎院(おおさいいん・だいさいいん)」と称されました。ちなみに円融天皇は同母兄、花山天皇・一条天皇・三条天皇は甥、後一条天皇は甥孫にあたります。
斎王(賀茂斎院)は天皇の代替わり(譲位・崩御)で退下(たいげ)するのが基本とされていたが、伊勢神宮に奉仕する伊勢斎王と異なり、退下が据え置きになることも多くありました。ちなみに天皇崩御による交替は服喪(諒闇)の明けた1年以上後に新たな斎王が卜定されました。また斎王は両親の死去(喪)によっても退下したが、卜定の時点で既に両親が死去していた場合、在任期間が長くなることもありました。更に斎王は任に耐えられない本人の病気や死去によって退下・交代することも多くあり、選子内親王は68歳で老病によって退下しました。選子内親王は斎王退下後に賀茂斎院(紫野斎院・紫野院)を出て、近江国の唐崎で禊(唐崎祓)を行い、帰京したと言われています。「左経記」1031年(長元4年)29日の条に「伝聞、今夜斎院御出家、大僧正奉授戒云々」と記され、選子内親王は斎王退下後に落飾して尼僧になりました。なお選子内親王は賀茂斎院(紫野斎院・紫野院)で和歌に親しみ、「大斎院御集」・「大斎院前の御集」が残されています。

【選子内親王 葵祭】
選子内親王は964年(応和4年)6月6日に第62代・村上天皇(むらかみてんのう)と藤原師輔の娘で、中宮・藤原安子の間に生まれ、村上天皇の第10皇女でした。生後間もなく母・藤原安子が亡くなり、兄・藤原兼通が引き取って堀河殿で育てられました。974年(天延2年)に清涼殿で着裳の儀が行われ、三品に叙されました。975年(天延3年)に第15代斎王・尊子内親王(そんしないしんのう)が退下し、12歳で斎王(賀茂斎院)に卜定されました。976年(貞元元年)に初斎院に入り、977年(貞元2年)に賀茂斎院(紫野斎院・紫野院)に入りました。その後第64代・円融天皇、第65代・花山天皇、第66代・一条天皇、第67代・三条天皇、第68代・後一条天皇の5代・57年に渡って斎王(賀茂斎院)を務め、「大斎院」と称されました。1024年(万寿元年)に一品に叙せられました。1031年(長元4年)9月22日に老病によって斎王(賀茂斎院)を退下し、同月28日に出家しました。退下後に世俗を離れた紫野に住しました。選子内親王は歌人としても優れ、「拾遺和歌集」などの勅撰集に入集されています。選子内親王は温厚な人柄と才知により、藤原定子(ふじわらのていし)や藤原彰子(ふじわらのしょうし)のサロンに並ぶ大斎院サロンを主導しました。仏教に帰依する心を詠み、諸経の法文を題とした「発心和歌集」、サロンの日常を描いた「大斎院御集」・「大斎院前の御集」などを残しました。ちなみに紫式部(むらさきしきぶ)作の「源氏物語」は選子内親王の要望によって創作されたとする話も残されています。選子内親王は「枕草子」・「紫式部日記」にもその名が記されています。なお選子内親王は1035年(長元8年)7月29日に亡くなりました。

【葵祭と第16代斎王(賀茂斎院)・選子内親王 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
葵祭見どころ

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