下鴨神社東本殿・下鴨神社見どころ

下鴨神社東本殿

●下鴨神社東本殿は1901年(明治34年)8月2日に国の重要文化財、1953年(昭和28年)3月31日に国宝に指定されました。
●下鴨神社東本殿は江戸時代末期の1863年(文久3年)の式年造営(21年に1度)で建て替えられました。東本殿は三間社流造の檜皮葺です。
下鴨神社では紀元前90年(崇神天皇7年)に周囲に設けた瑞垣(みずがき)の修造の記録があり、それ以前から社殿が造営されていたとも言われています。社殿は奈良時代(710年~794年)以前に何度も造替された記録があり、飛鳥時代の677年(白鳳6年)に山背国司に命じられて造営が行われ、板葺(いたぶき)・茅葺(かやぶき)から檜皮葺(ひわだぶき)・瓦葺(かわらぶき)に変えられました。平安時代中期頃、史書「百錬抄(ひゃくれんしょう)・鎌倉時代後期の13世紀末頃成立」に「鴨社正遷宮也、当社廿年一度・・・定例也」と記され、1036年(長元9年)を第1回として21年一度の式年遷宮(式年造営)の制度が確立しました。しかし戦乱・飢饉・災害などにより、30年、50年に及ぶこともありました。かつての式年遷宮では造替が行われていたが、現在は修復のみが行われています。
流造は神社建築の一形式です。流造は正面入口にあたる屋根の一方(前流れ)が長く延びた形式です。流造は伊勢神宮(いせじんぐう)に代表される神明造(しんめいづくり)から発展し、奈良時代末期から平安時代に成立し、全国に広がりました。流造では上賀茂神社(かみがもじんじゃ)・下鴨神社(しもがもじんじゃ)がよく知られています。流造では正面(桁行)の柱間が1間(柱2本)の場合には一間社流造、3間(柱4本)の場合には三間社流造、5間(柱6本)の場合には五間社流造になります。
檜皮葺は屋根葺手法の一形式です。檜皮葺では檜(ひのき)の樹皮を用いて屋根を葺きます。檜皮葺は日本以外では見られない日本古来の手法です。檜皮葺は飛鳥時代の668年(天智天皇7年)に滋賀県大津市の廃寺・崇福寺(すうふくじ)の諸堂が檜皮で葺かれた記録が最古の記録です。
●下鴨神社東本殿には玉依媛命(たまよりひめのみこと)を祀っています。玉依媛命は初代・神武天皇の先導をしたとも言われる賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと・かもたけつのみのみこと)の娘とされています。玉依媛命は「山城国風土記(やましろこくふうどき)」によると鴨川で禊(みそぎ)をしている時に上流から流れ来た丹塗(にぬり)の矢を拾って、床に置くと矢は美しい男神・火雷神(ほのいかづちのかみ)になり、結婚したとされています。その後御子神・賀茂別雷命(かもわけいかづちのみこと)を生んだという神話が伝えられ、古くから縁結・子育ての神として信仰されています。
一般的に玉依媛命は日本神話に登場する女神で、初代・神武天皇の母とされています。また初代・神武天皇の祖母・豊玉毘売(とよたまびめ)の妹とされています。玉依媛命は日本最古の歴史書「古事記」に玉依毘売、日本最古の正史「日本書紀」に玉依姫と記されています。玉依媛命は日本神話で海の神・綿津見神(わたつみのかみ)の娘とされ、うが草葺不合尊(うがやふきあえずのみこと)の妃となり、初代・神武天皇(神日本磐余彦尊(かむやまといわれびこのみこと)や彦五瀬命(ひこいつせのみこと)・稲飯命(いないのみこと)・三毛入野命(みけいりぬのみこと)を生んだとされています。なお玉依媛命には「神霊が依り憑く巫女(しんれいがよりつくみこ)」という意味があるそうです。
下鴨神社見どころ

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