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下鴨神社賀茂波爾神社・下鴨神社見所(修学旅行・観光)
下鴨神社賀茂波爾神社
●下鴨神社賀茂波爾神社は下鴨神社の境外摂社(第4摂社)です。賀茂波爾神社は社伝によると平安時代前期の901年(延喜元年)には既に祀られていたと言われています。祭祀用の土器を造る集団が祀っていたとも言われています。賀茂波爾神社では土器と湧き出る波爾井が下鴨神社に供えられました。平安時代中期の「延喜式神名帳(えんぎしきじんみょうちょう)・927年(延長5年)編纂」に「愛宕郡 二十一座 大八座 小十三座」として記され、式内社(しきないしゃ)に列せられたと言われています。その後稲荷神(権九郎稲荷(げんくろういなり))も祀られ、赤宮稲荷大明神と言われるようになりました。江戸時代中期頃の1671年(寛文11年)または1679年(延宝7年)に現在の場所に移され、江戸時代後期の1855年(安政2年)に現在の本殿が造営されました。1877年(明治10年)に下鴨神社の摂社になりました。下鴨神社・上賀茂神社で行われる葵祭(あおいまつり)の前儀・御蔭祭(みかげまつり)の際、行列が立ち寄り、神事を行います。なお賀茂波爾神社は天照大神(あまてらすおおみかみ)の兄弟神である波爾安日子神(はにやすひこのかみ)・波爾安日女神(はにやすひめのかみ)を祀り、大地を守護し、万物の生成発展・殖産興・方除・火災・災難・疫病・厄除けなどのご利益があるとも言われています。
賀茂波爾神社は権九郎稲荷社を勧請して祀った際に社殿が朱に塗られたことから赤の宮と言われるようになったとも言われています。また出雲井於神社は古来に赤土を使った土器を造る氏族が祀っていたことから赤の宮と言われるようになったとも言われています。
御蔭祭は葵祭に先立って、下鴨神社の祭神の荒御魂(あらみたま)を比叡山西麓にある御蔭神社から下鴨神社に迎える神事です。下鴨神社の和御霊(にぎみたま)は御蔭神社のある御蔭山で生まれた神霊と一体となって若返った荒御魂(あらみたま)になり、それを下鴨神社の本殿に迎え入れます。
葵祭は古墳時代後期の第29代・欽明天皇の時代(539年~571年)に京都をはじめ全国が風水害に見舞われ、飢餓・疫病が流行し、賀茂大神の祟りであるとしたのが起源です。平安時代前期807年(大同2年)に勅祭になり、819年(弘仁10年)に律令制度の中で最も重要な恒例祭祀(中祀)に準じて行われる国家的行事になりました。平安時代中期に祭りと言えば、葵祭のことを指すほど隆盛を極めました。
●下鴨神社賀茂波爾神社は本殿が一間社流造(いっけんしゃながれづくり)の檜皮葺(ひわだぶき)です。
流造は神社建築の一形式です。流造は正面入口にあたる屋根の一方(前流れ)が長く延びた形式です。流造は伊勢神宮(いせじんぐう)に代表される神明造(しんめいづくり)から発展し、奈良時代末期から平安時代に成立し、全国に広がりました。流造では上賀茂神社(かみがもじんじゃ)・下鴨神社(しもがもじんじゃ)がよく知られています。流造では正面(桁行)の柱間が1間(柱2本)の場合には一間社流造、3間(柱4本)の場合には三間社流造、5間(柱6本)の場合には五間社流造になります。
檜皮葺は屋根葺手法の一形式です。檜皮葺では檜(ひのき)の樹皮を用いて屋根を葺きます。檜皮葺は日本以外では見られない日本古来の手法です。檜皮葺は飛鳥時代の668年(天智天皇7年)に滋賀県大津市の廃寺・崇福寺(すうふくじ)の諸堂が檜皮で葺かれた記録が最古の記録です。
【下鴨神社 備考】
*参考・・・下鴨神社(拝観料・アクセス・歴史概要・見どころ・・・)ホームページ
●下鴨神社の歴史(創建から現在)を紹介しています。
下鴨神社歴史(賀茂建角身命・・・)
●下鴨神社の見どころ(舞殿・細殿など)を紹介しています。
下鴨神社見どころ(舞殿・細殿など)