下鴨神社河合神社・下鴨神社見どころ(修学旅行)

下鴨神社河合神社

●下鴨神社河合神社は正式には鴨河合坐小社宅神社(かものかわあいにいますおこそやけじんじゃ)と言われる下鴨神社の摂社で、下鴨神社の境内(糺の森)の南端に祀られています。河合神社は平安時代前期の858年(天安2年)に下鴨川合神が神階・従五位上を授けられたと記され、それ以前から祀られていたとも言われています。平安時代中期の「延喜式神名帳(927年(延長5年))」で名神大社(みょうじんたいしゃ・式内社(しきないしゃ))に列せられ、賀茂川と高野川の合流部にあった社家の屋敷神として祀られていたとも言われています。河合神社ではかつて21年毎に式年遷宮が行われ、江戸時代中期の1679年(延宝7年)の式年遷宮で現在の社殿が建立されました。河合神社は女性の守護神で、日本第一の美麗神と言われる玉依媛命(たまよりひめのみこと)を祀っています。なお河合神社では日本三大随筆に数えられる「方丈記」の作者である鴨長明(かものちょうめい)が禰宜の息子として幼少時代を過ごしたと言われ、晩年過ごしたと言われる方丈の庵が再現されています。
下鴨神社では玉依媛命は初代・神武天皇の先導をしたとも言われる賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)の娘とされています。玉依媛命は「山城国風土記」によると鴨川で禊をしている時に上流から流れ来た丹塗の矢を拾って、床に置くと矢は美しい男神・火雷神になり、結婚したとされています。その後御子神・賀茂別雷命を生んだという神話が伝えられ、古くから縁結・子育ての神として信仰されています。
一般的に玉依媛命は日本神話に登場する女神で、初代・神武天皇の母とされています。また初代・神武天皇の祖母・豊玉毘売の妹とされています。玉依媛命は日本最古の歴史書「古事記」に玉依毘売、日本最古の正史「日本書紀」に玉依姫と記されています。玉依媛命は日本神話で海の神・綿津見神の娘とされ、うが草葺不合尊の妃となり、初代・神武天皇(神日本磐余彦尊)や彦五瀬命・稲飯命・三毛入野命を生んだとされています。なお玉依媛命には「神霊が依り憑く巫女」という意味があるそうです。
鴨長明は1155年(久寿2年)に下鴨神社の神事を統率する禰宜・鴨長継(かものながつぐ)の次男として生まれました。第78代二条天皇の中宮・高松院(たかまついん・しゅ子内親王(しゅしないしんのう)から愛護され、1161年(応保元年)に従五位下に叙されたが、1172年(承安2年)頃に父・鴨長継が亡くなると後ろ盾を失いました。1175年(安元元年)に父・鴨長継の後を継いだ鴨祐季が失脚したが、後任争いに敗れました。和歌を俊恵(しゅんえ)、琵琶を中原有安(なかはらの ありやす)に学び、その後歌人として活躍し、1201年(建仁元年)に和歌所寄人(わかどころよりうど)に任じられました。1204年(元久元年)に河合神社の禰宜に欠員が生じ、後鳥羽上皇(第82代・後鳥羽天皇)を推挙の内意を得たが、下鴨神社の禰宜・鴨祐兼(かものすけかね)が反対し、近江の大岡寺(だいこうじ)で出家して閑居生活を続けました。1211年(建暦元年)に鎌倉幕府第3代将軍・源実朝(みなもとのさねとも)の和歌の師を目指して鎌倉に下向したが、失敗しました。1212年(建暦2年)に「方丈記」を記し、日本三大随筆に数えられました。なお鴨長明は1216年(建保4年)7月26日に亡くなりました。
●下鴨神社河合神社は三間社流造(さんげんしゃながれづくり)の檜皮葺(ひわだぶき)です。
流造は神社建築の一形式です。流造は正面入口にあたる屋根の一方(前流れ)が長く延びた形式です。流造は伊勢神宮(いせじんぐう)に代表される神明造(しんめいづくり)から発展し、奈良時代末期から平安時代に成立し、全国に広がりました。流造では上賀茂神社(かみがもじんじゃ)・下鴨神社(しもがもじんじゃ)がよく知られています。流造では正面(桁行)の柱間が1間(柱2本)の場合には一間社流造、3間(柱4本)の場合には三間社流造、5間(柱6本)の場合には五間社流造になります。
檜皮葺は屋根葺手法の一形式です。檜皮葺では檜(ひのき)の樹皮を用いて屋根を葺きます。檜皮葺は日本以外では見られない日本古来の手法です。檜皮葺は飛鳥時代の668年(天智天皇7年)に滋賀県大津市の廃寺・崇福寺(すうふくじ)の諸堂が檜皮で葺かれた記録が最古の記録です。
下鴨神社見どころ

京都観光おすすめ

  1. 錦市場
  2. 竹林の道
  3. 嵐山
ページ上部へ戻る