下鴨神社光琳の梅・下鴨神社見どころ(修学旅行)

下鴨神社光琳の梅

●下鴨神社光琳の梅は境内を流れる御手洗川(みたらしがわ)に架けられた輪橋(そりはし)近くに植えられています。光琳の梅は絵師・尾形光琳(おがたこうりん)が描いた「紅白梅図屏風(国宝)」のモデルの後継樹と言われています。光琳の梅は樹齢100年ほどとも言われる紅梅です。
尾形光琳は江戸時代前期の1658年(万治元年)に京都の呉服商・雁金屋(かりがねや)の当主・尾形宗謙(おがたそうけん)の次男として生まれました。弟は尾形乾山(おがた けんざん)になります。尾形家は桃山時代に道柏(どうはく)が本阿弥光悦(ほんあみこうえつ)の姉を妻に迎えて姻戚関係を結び、雁金屋は関白・豊臣秀吉(とよとみひでよし)の側室・淀君(よどぎみ)、江戸幕府第2代将軍・徳川秀忠(とくがわひでただ)の夫人達、第108代天皇・後水尾天皇の皇后・東福門院(とうふくもんいん・徳川和子(とくがわまさこ))などの呉服の御用を勤めました。二条家に出入りしていた父・尾形宗謙の多趣味な生活に感化され、能・絵などの素養を積みました。30歳の時に父・尾形宗謙が亡くなると莫大な財産を相続し、生来の遊び人だったこともあり、財産を湯水のように使って遊蕩三昧(ゆうとうざんまい)の日々を送りました。その後本格的に画業を志し、初め狩野派の絵師・山本素軒(やまもとそけん)に学び、後に絵師・俵屋宗達(たわらやそうたつ)の絵に傾倒し、40代で画業に身を入れ始めました。1701年(元禄14年)44歳で法橋(ほっきょう)になりました。尾形光琳は山本素軒・俵屋宗達、そして陶芸家・芸術家で、寛永の三筆の一人と称された本阿弥光悦(ほんあみこうえつ)、画家、陶工・野々村仁清(ののむらにんせい)の遺風を受け、光琳模様とも言える独自の大和絵画風を確立しました。尾形光琳は大胆な構成で、華麗な画風である琳派の大成者です。俵屋宗達の風神雷神図を模した「風神雷神図屏風」・「太公望図」・「中村内蔵助像」・「孔雀葵花図」・「秋好中宮図」などを描きました。なお尾形光琳は1716年(享保元年)7月20日に亡くなりました。
梅は中国原産のバラ科サクラ属の落葉高木です。梅は飛鳥時代の630年(舒明2年)から平安時代前期の838年(承和5年)に派遣された遣唐使(けんとうし)が唐(中国)から日本に伝えたと言われています。梅には500種以上の品種があるが、野梅系(やばいけい)・紅梅系(緋梅系)・豊後系(ぶんごけい)に大きく分類されるそうです。
御手洗川は御手洗池(みたらしいけ)の底から湧き出る水が源流です。御手洗池は下鴨神社の境内末社・御手洗社(井上社・いのうえしゃ)の前にあり、下鴨神社の祓い所です。御手洗池から湧き出る水泡をかたどった団子が「みたらし団子」で、御手洗社は「みたらし団子」発祥の地と言われています。
下鴨神社見どころ

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