下鴨神社御手洗池・御手洗川・下鴨神社見どころ(修学旅行)

下鴨神社御手洗池・御手洗川

●下鴨神社御手洗池は井上社(いのうえしゃ)とも言われる御手洗社(みたらししゃ)の下にある井戸や御手洗池の下から湧き出る水などを水源としています。御手洗池から湧き出る水泡をかたどった団子が「みたらし団子」で、御手洗社は「みたらし団子」発祥の地と言われています。御手洗池などから湧き出した水は御手洗川になり、その後奈良の小川・瀬見の小川などと名前を変えて境内を流れ、鴨川に注ぎます。ちなみに下鴨神社には高野川の支流・泉川も流れ、その一部は御手洗川に合流しています。御手洗池・御手洗川では葵祭の前儀である斎王代禊の儀(さいおうだいみそぎのぎ)・流し雛(ながしびな)・夏越神事(なごしのしんじ・矢取神事(やとりしんじ))・御手洗祭(みたらし祭)が行われています。
斎王代禊の儀では十二単(じゅうにひとえ)を身に纏った斎王代が下鴨神社の祓い所である御手洗社前の御手洗池で身を祓い清めます。斎王代以外の女人列は斎串(いくし)を使って身を祓い清めます。なお葵祭ではかつて鴨川(賀茂川)で禊が行われていました。
流し雛(京の流しびな)では十二単のお雛さま・衣冠装束(いかんしょうぞく)のお内裏さま・神職などが和紙人形を藁で編んだ桟俵(さんだわら)に乗せ、御手洗川(御手洗池)に流し、子どもの無病息災を祈願します。なお流し雛は平安時代に始まり、子どもの健やかな成長を願って、子どもの身代わりに小さな人形を川や海に流して、厄を祓ったのが起源と言われています。
夏越神事では御手洗池の中央に50本の斎矢(斎串)を立て、奉納された厄除けの人形が流されると裸の氏子男子(裸男)が一斉に飛び込み、斎矢を奪い合います。なお夏越神事は祭神・玉依姫命(たまよりひめのみこと)が川遊びしていると一本の丹塗矢(にぬりや)が流れ着き、持ち帰ったところ懐妊し、上賀茂神社の祭神・賀茂別雷神(かもわけいかづちのかみ)を生んだという故事から矢取神事とも言われています。
御手洗祭では御手洗池に足を膝まで浸しながらロウソクに献灯し、無病息災を祈願します。また御手洗祭では安産のご利益があるとも言われているそうです。なお御手洗祭は平安時代、季節の節目に貴族が罪・穢れを祓った風習に由来するとも言われています。
御手洗社は井上社とも言われる下鴨神社の末社です。御手洗社は「日本三代実録(にほんさんだいじつろく)・平安時代中期の901年(延喜元年)」の879年(元慶3年)9月25日条に記されている唐崎社(からさきしゃ)が起源とされ、賀茂川(鴨川)と高野川の合流点東岸に祀られていました。その後室町時代中期の1470年(文明2年)6月14日に応仁の乱(1467年(応仁元年)~1477年(文明9年))で焼失し、安土桃山時代の文禄年間(1593年~1596年)に現在の場所に再興され、江戸時代前期の1629年(寛永6年)度の式年遷宮よって官営神社になったと言われています。なお御手洗社は祓戸四神(速開都比売(はやあきつひめ)・気吹戸主(いぶきどぬし)・速佐須良比売(はやさすらひめ))の一神で、災厄抜除の女神・瀬織津姫命(せおりつひめのみこと・瀬織津比売)を祀っています。
下鴨神社見どころ

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