下鴨神社御手洗社・下鴨神社見どころ(修学旅行)

下鴨神社御手洗社

●下鴨神社御手洗社は井上社(いのうえしゃ)とも言われる下鴨神社の末社です。御手洗社は祓戸四神(速開都比売(はやあきつひめ)・気吹戸主(いぶきどぬし)・速佐須良比売(はやさすらひめ))の一神で、災厄抜除の女神・瀬織津姫命(せおりつひめのみこと・瀬織津比売)を祀っています。御手洗社は「日本三代実録(にほんさんだいじつろく)・平安時代中期の901年(延喜元年)」の879年(元慶3年)9月25日条に記されている唐崎社(からさきしゃ)とされ、賀茂川(鴨川)と高野川の合流点東岸に祀られていたが、室町時代中期の1470年(文明2年)6月14日に応仁の乱(1467年(応仁元年)~1477年(文明9年))によって焼失し、安土桃山時代の文禄年間(1593年~1596年)に現在の場所に再興され、江戸時代前期の1629年(寛永6年)度の式年遷宮よって官営神社になったと言われています。なお御手洗社前の御手洗池(御手洗川)では葵祭の前儀である斎王代禊の儀・流し雛・夏越神事(矢取神事)・御手洗祭(みたらし祭)が行われています。
斎王代禊の儀では十二単を身に纏った斎王代が下鴨神社の祓い所である御手洗社前の御手洗池で身を祓い清めます。
流し雛(京の流しびな)では十二単のお雛さま・衣冠装束のお内裏さま・神職などが和紙人形を藁で編んだ桟俵に乗せ、御手洗社前の御手洗川(御手洗池)に流し、子どもの無病息災を祈願します。
夏越神事では御手洗社前の御手洗池の中央に50本の斎矢(斎串)を立て、奉納された厄除けの人形が流されると裸の氏子男子(裸男)が一斉に飛び込み、斎矢を奪い合います。
御手洗祭では御手洗社前の御手洗池に足を膝まで浸しながらロウソクに献灯し、無病息災を祈願します。また御手洗祭では安産のご利益があるとも言われているそうです。
御手洗池では湧き出る水泡をかたどった団子がみたらし団子と言われ、御手洗社(井上社)はみたらし団子発祥の地と言われています。ちなみに御手洗池の水泡は下鴨神社の七不思議に数えられています。なおみたらし団子はみたらし祭・葵祭の際に神前に供える為、氏子の家庭で作られていた団子が起源とも言われています。
●下鴨神社御手洗社は一間社流造(いっけんしゃながれづくり)の檜皮葺(ひわだぶき)で、唐破風(からはふ)の覆屋(おおいや)の中に祀られています。
流造は神社建築の一形式です。流造は正面入口にあたる屋根の一方(前流れ)が長く延びた形式です。流造は伊勢神宮(いせじんぐう)に代表される神明造(しんめいづくり)から発展し、奈良時代末期から平安時代に成立し、全国に広がりました。流造では上賀茂神社(かみがもじんじゃ)・下鴨神社(しもがもじんじゃ)がよく知られています。流造では正面(桁行)の柱間が1間(柱2本)の場合には一間社流造、3間(柱4本)の場合には三間社流造、5間(柱6本)の場合には五間社流造になります。
檜皮葺は屋根葺手法の一形式です。檜皮葺では檜(ひのき)の樹皮を用いて屋根を葺きます。檜皮葺は日本以外では見られない日本古来の手法です。檜皮葺は飛鳥時代の668年(天智天皇7年)に滋賀県大津市の廃寺・崇福寺(すうふくじ)の諸堂が檜皮で葺かれた記録が最古の記録です。
下鴨神社見どころ

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