下鴨神社大炊殿・下鴨神社見どころ

下鴨神社大炊殿

●下鴨神社大炊殿は1903年(明治36年)4月15日に国の重要文化財に指定されました。
●下鴨神社大炊殿は江戸時代前期の1628年(寛永5年)頃に造営されました。下鴨神社大炊殿はかつて室町時代の応仁の乱(1467年(応仁元年)~1477年(文明9年))で焼失し、その後現在の場所に移されて再建されたとも言われています。下鴨神社大炊殿ではかつてご飯・お餅・ぶと・まがり(お菓子)など穀物類の神饌(しんせん)が調理されていました。土間の竈(かまど)で煮炊きし、中の間の台所で食材・用具などを洗い、奥の間で神饌を盛り付けました。ちなみに水を汲む井戸「御井」(みい)もあります。下鴨神社大炊殿では葵祭(賀茂祭)に供されたの特殊神饌も調理されていました。特殊神饌の本膳は御飯・御汁鮑・御塩・御最花・打鮑・干鯛・鱒・塩引鮭・神酒・餅・鮎・詔陽魚・鰆・海老です。なお下鴨神社ではかつて魚貝類・鳥類を調理する贄殿(にえどの)や酒殿(さけどの)もありました。
葵祭は上賀茂神社によると神代の昔に主祭神・賀茂別雷命(かもわけいかづちのかみ)が秀峰・神山(こうやま)に降臨した際の神託により、奥山の賢木(さかき)を取って阿礼(あれ)に立て、綵色(いろあや)を飾ったり、走馬(そうま)を行ったり、葵楓(あおいかつら)の蔓(かずら)を装ったりして祭りを行ったのが起源とも言われています。また古墳時代後期の第29代・欽明天皇(540年~571年)の時代に全国が風水害に見舞われ、飢餓・疫病が流行し、賀茂大神(上賀茂神社・下鴨神社)の崇敬者である卜部伊吉若日子(うらべのいきわかひこ)に占わせられたところ賀茂大神の祟りであると奏した為、卜部伊吉若日子が勅命により、旧暦の4月吉日を選んで、馬に鈴を懸け、人は猪頭(いのがしら)を被り、駆競(くち・かけくらべ)して盛大に祭りを行ったのが起源とも言われています。
●下鴨神社大炊殿は桁行五間・梁間三間で、切妻造(きりづまづくり)の本瓦葺(ほんがわらぶき)です。
切妻造は屋根の最頂部の棟(むね)から両側に葺き下ろし、その両端を棟と直角に切った屋根の形式です。切妻造は本を開いて伏せたような形で、平行な面を平(ひら)、棟と直角な面を妻(つま)と言います。切妻造は古くは真屋(まや)とも言われ、伊勢神宮(いせじんぐう)・出雲大社(いづもたいしゃ)などの社殿に採用されています。ちなみに四方向に傾斜する屋根面を持つ寄棟造(よせむねづくり)よりも格式が上とも言われています。なお切妻造は世界各地で見られる屋根の形式です。
本瓦葺は陶器製で、断面が湾曲した矩形の平瓦と断面が半円状の丸瓦とを交互に組み合わせて屋根を葺く方法です。瓦葺は飛鳥時代に中国・朝鮮半島から寺院建築の技術とともに伝来しました。瓦葺は檜皮葺(ひわだぶき)・茅葺(かやぶき)・板葺(いたぶき)などに比べ耐水性・耐火性に優れ、台風の多い日本に適していました。なお本瓦葺は本葺き(ほんぶき)とも言われています。
下鴨神社見どころ

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