下鴨神社楼門・下鴨神社見どころ(修学旅行)

下鴨神社楼門

●下鴨神社楼門は1901年(明治34年)8月2日に国の重要文化財に指定されました。
●下鴨神社楼門は江戸時代前期の1628年(寛永5年)頃に東西廻廊とともに造営されました。下鴨神社楼門はかつて式年造営ごとに造営されてきたが、1628年(寛永5年)頃以降は解体修理が行われています。なお葵祭(賀茂祭)では勅使が楼門を通り、西廻廊の剣の間で勅使が剱を解きます。勅使が通る楼門は楼門の屋根を越えるように鏑矢(かぶらや)を放つ歩射神事(ぶしゃしんじ)屋越式(やごししき)によって邪気が祓われます。
葵祭は上賀茂神社によると神代の昔に主祭神・賀茂別雷命(かもわけいかづちのかみ)が秀峰・神山(こうやま)に降臨した際の神託により、奥山の賢木(さかき)を取って阿礼(あれ)に立て、綵色(いろあや)を飾ったり、走馬(そうま)を行ったり、葵楓(あおいかつら)の蔓(かずら)を装ったりして祭りを行ったのが起源とも言われています。また古墳時代後期の第29代・欽明天皇(540年~571年)の時代に全国が風水害に見舞われ、飢餓・疫病が流行し、賀茂大神(上賀茂神社・下鴨神社)の崇敬者である卜部伊吉若日子(うらべのいきわかひこ)に占わせられたところ賀茂大神の祟りであると奏した為、卜部伊吉若日子が勅命により、旧暦の4月吉日を選んで、馬に鈴を懸け、人は猪頭(いのがしら)を被り、駆競(くち・かけくらべ)して盛大に祭りを行ったのが起源とも言われています。
歩射神事は葵祭・路頭の儀に先立って、葵祭の沿道を弓矢を使って祓い清める魔よけの神事です。
一般的に楼門は寺社の入口にある二階建て(重層)の門です。楼門は下層に屋根のないものを言い、下層に屋根があるものを二重門と言います。
●下鴨神社楼門は三間一戸(さんげんいっこ)の楼門で、入母屋造(いりもやづくり)の檜皮葺(ひわだぶき)です。
三間一戸は楼門や二重門の規模などを示します。間口(桁行(けたゆき))が三間で、中央間を戸口とした門のことです。なお三間は門柱(本柱)が4本ある門です。
入母屋造は切妻造と寄棟造を組み合わせた屋根の形式です。寄棟造の屋根の上に切妻造の屋根を載せた形で、切妻造の四方に庇(ひさし)がついています。京都御所の紫宸殿(ししんでん)のように切妻と寄棟の角度が一続きでないものは錣屋根(しころやね)とも言われています。日本では古くから切妻造は寄棟造よりも格式が上とも言われ、それらの組み合わせた入母屋造は最も格式が高いとも言われています。入母屋造は法隆寺(ほうりゅうじ)の金堂・唐招提寺(とうしょうだいじ)の講堂に採用されています。
檜皮葺は屋根葺手法の一形式です。檜皮葺では檜(ひのき)の樹皮を用いて屋根を葺きます。檜皮葺は日本以外では見られない日本古来の手法です。檜皮葺は飛鳥時代の668年(天智天皇7年)に滋賀県大津市の廃寺・崇福寺(すうふくじ)の諸堂が檜皮で葺かれた記録が最古の記録です。
下鴨神社見どころ

ページ上部へ戻る