下鴨神社賀茂斎院歴代斎王神霊社・下鴨神社見どころ

下鴨神社賀茂斎院歴代斎王神霊社

●下鴨神社賀茂斎院歴代斎王神霊社は糺の森(ただすのもり)に祀られている下鴨神社の末社です。賀茂斎院歴代斎王神霊社は2018年(平成30年)4月に再興されました。4月18日夕方にご神体を移す遷座祭が営まれ、ご神体が葱華輦(そうかれん)に乗せられて遷されました。賀茂斎院歴代斎王神霊社は平安時代前期の第52代・嵯峨天皇の時代(809年(大同4年)~823年(弘仁14年))に勧進されたとも言われ、古くから祀られていたとも言われています。公家の日記などを抜粋・編集した歴史書「百錬抄(ひゃくれんしょう)・鎌倉時代後期の13世紀末頃編纂」の1151(仁平元年)7月4日の条に「一院供養河東御所内中嶋御塔」と記され、平安時代後期に糺の森の鴨社頭賀茂斎院御所の池庭の中嶋に賀茂斎院歴代斎王神霊社が祀られていたことが記されています。1894年(明治27年)に調査編修された「賀茂御祖神社御事歴調記」に河崎社(こうさきのやしろ)・斎院鎮守御社合社と賀茂斎院御代々神霊社が合祀された記録があります。1958年(昭和33年)の第32回式年遷宮の際に造替の計画が進められ、祭神は摂社・三井社の末社に仮遷御され、社殿が撤去されました。2015年(平成27年)の第34回式年遷宮の際に再興が計画されました。なお賀茂斎院歴代斎王神霊社には歴代35人の斎王が祀られています。
斎王(斎院)はかつて天皇の娘である未婚の内親王(ないしんのう)または女王(じょうおう)から選ばれました。ちなみに斎王は斎皇女(いつきのみこ)とも言われました。また内親王は斎内親王、女王は斎女王とも言われました。初代斎王は平安時代前期の810年(大同5年)に賀茂斎院が設置された際の第52代・嵯峨天皇(さがてんのう)の第8皇女・有智子内親王(うちこないしんのう)です。嵯峨天皇は兄・平城上皇(第51代・平城天皇(へいぜいてんのう))と皇位や平城京再遷都などを巡って対立し、賀茂社(上賀茂神社・下鴨神社)の祭神・賀茂大神(かものおおかみ)に皇女を賀茂社の神迎えの儀式に奉仕する阿礼少女(あれおとめ)に捧げると祈願し、薬子の変(くすこのへん)で勝利したことから有智子内親王が初代斎王になりました。その後時子内親王(ときこないしんのう)・高子内親王(こうしないしんのう)・慧子内親王(あきらけいこないしんのう)・述子内親(じゅつしないしんのう)・儀子内親王(ぎしないしんのう)・敦子内親王(あつこないしんのう)・穆子内親王(ぼくしないしんのう)・直子女王(なおこじょおう)・君子内親王(くんしないしんのう)・恭子内親王(きょうしないしんのう)・宣子内親王(せんしないしんのう)・韶子内親王(しょうしないしんのう)・婉子内親王(えんしないしんのう)・尊子内親王(そんしないしんのう)・選子内親王(せんしないしんのう)・馨子内親王(けいしないしんのう)・娟子内親王(けんしないしんのう)・ばい子内親王(ばいしないしんのう)・正子内親王(まさこないしんのう)・佳子内親王(かしないしんのう)・篤子内親王(とくしないしんのう)・斉子女王(せいしじょおう)・令子内親王(れいしないしんのう)・禛子内親王(しんしないしんのう)・官子内親王(かんしないしんのう)・そう子内親王(そうしないしんのう)・統子内親王(むねこないしんのう)・禧子内親王(きしないしんのう)・怡子女王(いしじょおう)・式子内親王(しょくしないしんのう)・ぜん子内親王(ぜんしないしんのう)・頌子内親王(しょうしないしんのう)・範子内親王(はんしないしんのう)・礼子内親王(れいしないしんのう)の順に35代が約400年間にわたって歴任しました。
賀茂斎院は810年(大同5年)から始まり、平安時代末期に起こった源平の争乱以降はしばしば途絶え、鎌倉時代に徐々に衰退し、1212年(建暦2年)に第82代・後鳥羽天皇の皇女で、35代・礼子内親王(いやこないしんのう)が退下してからは1221年(承久3年)の承久の乱(じょうきゅうのらん)などにより、約400年間続いた賀茂斎院(斎院制度)は廃絶しました。
下鴨神社見どころ

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