下鴨神社糺の森・下鴨神社見どころ(修学旅行)

下鴨神社糺の森

●下鴨神社糺の森は1983年(昭和58年)に国の史跡に指定されました。
●下鴨神社糺の森は下鴨神社境内の南側で、賀茂川(鴨川)と高野川が合流する三角州地帯(合流点)付近にあります。「糺」には縄を寄り合わせるという意味があり、集め合わせるに通じ、賀茂川と高野川の合流点に合っているとも言われています。糺の森は面積約12万4千平方メートル(東京ドーム約3倍)の原生林です。ちなみに糺の森はかつて794年(延暦13年)に第50代・桓武天皇が長岡京から平安京に遷都した当時には面積約495万平方メートルの広さがあったとも言われています。室町時代中期の応仁の乱(1467年(応仁元年)~1477年(文明9年))の兵火では総面積の7割を焼失したとも言われています。糺の森は縄文時代から生き続け、かつて山城国(山代国・山背国)とも言われていた時代頃の植物相をおおむね留めていると言われています。糺の森にはムクノキ・ケヤキ・イチイガシ・エノキ・ナナミノキ・ツバキ・イヌザクラ・アラカシ・アキニレ・シイ・イチョウ・スギ・タラヨウ・クスノキ・シリブカガシ・シラカシなど落葉樹を中心に約40種・4,700本の樹木が分布しています。樹齢600年~200年の樹木が約600本も分布しています。
●下鴨神社糺の森は奈良時代・平安時代から多くの詩歌・管絃・物語に謳われています。紫式部(むらさきしきぶ)作の「源氏物語(げんじものがたり)・平安時代中期成立」須磨の巻では光源氏が「憂き世をば 今ぞ別るる とどまらぬ 名をば糺の  神にまかせて」と都を離れる想いを詠んでいます。清少納言(せいしょうなごん)作の「枕草子(まくらのそうし)・平安時代中期成立」では第66代・一条天皇の皇后(中宮)・藤原定子(ふじわらのていし)が「いかにして いかに知らまし 偽りを 空に糺の 神なかりせば」と詠んでいます。ちなみに最も古いものは勅撰和歌集「新古今和歌集(しんこきんわかしゅう)・鎌倉時代初期編纂」巻十三に詠まれている平安時代前期の貴族・歌人である平貞文(たいらのさだふみ)の和歌「偽を ただすのもりの ゆふだすき かけつつ ちかへ われをおもはば」と言われています。
●下鴨神社糺の森には河合神社・古馬場などがあり、御手洗川・泉川・奈良の小川・瀬見の小川が流れています。
河合神社は下鴨神社の摂社で、糺の森の南端に祀られています。河合神社は858年(天安2年)に下鴨川合神が神階・従五位上を授けられたと記され、それ以前から祀られていたとも言われています。平安時代中期の「延喜式神名帳(927年(延長5年))」で名神大社(みょうじんたいしゃ・式内社(しきないしゃ))に列せられました。なお河合神社は賀茂川(鴨川)と高野川の合流部にあった社家の屋敷神として祀られていたとも言われています。
古馬場は奈良時代以前から使われているとも言われています。古馬場では古くから騎射(きしゃ・流鏑馬(やぶさめ))が行われていました。糺の森からは古墳時代の馬具が出土しました。「百錬抄(ひゃくれんしょう)」によると鎌倉時代前期に後鳥羽上皇(第82代・後鳥羽天皇)が御幸した際、糺の森の馬場で流鏑馬を見たと言われています。なお古馬場では毎年5月に葵祭の前儀である流鏑馬神事が行われています。
御手洗川は御手洗社(井上社)前から湧き出る御手洗池を源としています。泉川は高野川の支流で、糺の森の東側を流れています。奈良の小川は御手洗川に泉川の流れの一部が合流したものです。瀬見の小川は賀茂川の支流で、奈良の小川が合流し、糺の森の中央を流れています。
下鴨神社見どころ

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