下鴨神社・京都御苑散策コース(糺の森・河合神社・・・)
下鴨神社・京都御苑散策コース
下鴨神社・京都御苑散策コースは世界遺産である下鴨神社と京都市民の憩いの場である京都御苑を結ぶ散策コースです。東側の下鴨神社から西側の京都御苑までは距離が約3.2キロあり、徒歩で約40分掛かります。下鴨神社から京都御苑までは余り起伏はない為、比較的楽に散策することができます。下鴨神社・京都御苑散策コース周辺には国指定の史跡である糺の森・鏡絵馬が女性に人気の河合神社・金閣寺や銀閣寺が塔頭である相国寺・葉がハート型をした愛の木がある梨木神社・天皇が住していた京都御所・仙洞御所などがあります。下鴨神社から京都御苑に向かう際には加茂川(鴨川)を渡る必要があり、加茂川沿いを散策するのがおすすめです。京都御苑には梅・桜・楓などが植えられ、梅・桜・紅葉シーズンにのんびり散策するのもおすすめです。
【下鴨神社・京都御苑散策コース】
【下鴨神社(しもがもじんじゃ)・賀茂御祖神社(かもみおやじんじゃ) 概要】
下鴨神社は社伝によると神武天皇の時代に賀茂建角身命が比叡山西麓の御蔭山に降臨したのが起源とも言われています。また下鴨神社は紀元前90年(崇神天皇7年)に瑞垣の修造の記録があり、それ以前から祀られていたとも言われています。その後欽明天皇の時代に欽明天皇が勅使を派遣して葵祭が始まり、678年(天武天皇7年)に社殿が建立され、天平年間に上賀茂神社から分置されたとも言われています。794年(延暦13年)の平安京遷都の際、王城鎮護の神になりました。その後807年(大同2年)に神階・正一位に叙され、葵祭で天皇の勅使が派遣されて行われる勅祭になり、810年(大同5年)に葵祭に奉仕する賀茂斎院が置かれ、嵯峨天皇の皇女・有智子内親王が初代斎王として仕えました。
下鴨神社(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)・下鴨神社見どころ
【糺の森(ただすのもり) 概要】
糺の森は国指定の史跡で、京都の自然200選にも選ばれています。糺の森は賀茂川(鴨川)と高野川の合流地点に発達した面積約12万平方メートルの原生林で、山背原野の原生樹林と同じ植生を現在も残していると言われています。糺の森はかつて約495万平方メートルの広さがあったそうです。なお下鴨神社の境内末社・相生社の連理の賢木が枯れると糺の森のどこかで2本の木が1本に結ばれると言われています。
【河合神社(かわいじんじゃ) 概要】
河合神社は下鴨神社の摂社です。河合神社は起源が明確ではありません。河合神社は858年(天安2年)に下鴨川合神が従五位上が授けられたと記され、それ以前から祀られていたと言われています。河合神社は女性の守護神で、日本第一の美麗神と言われる玉依姫命を祀っています。玉依姫命は下鴨神社の東本殿にも祀られ、上賀茂神社の祭神・賀茂別雷命(かもわけいかづちのかみ)の母神になります。
河合神社(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)
【相国寺(しょうこくじ) 概要】
相国寺は1382年(永徳2年)に室町幕府3代将軍・足利義満が室町第・花の御所の東に夢窓疎石を開山に一大禅宗伽藍を建立することを発願したのが起源です。相国寺の寺号は創建時に足利義満が左大臣(相国)であったことに由来しています。相国寺は1392年(元中9年)に伽藍が完成し、北側の上御霊神社の森、東側の寺町通、西側の大宮通に囲まれた約144万坪の広大な境内に50余りの塔頭があったと言われています。その後度々焼失し、1403年(応永10年)に史上最も高かったとも言われている七重大塔も落雷で焼失しました。その後も応仁の乱などで度々焼失し、1584年(天正12年)に中興の祖・西笑承兌が再建しました。しかしその後も度々焼失し、1788年(天明8年)に天明の大火で日本最古の法堂(本堂)・浴室以外の伽藍は焼失しました。
相国寺(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)
【梨木神社(なしのきじんじゃ) 概要】
梨木神社は1885年(明治18年)に伏見宮邦家親王の王子・久邇宮朝彦親王の令旨により、明治維新に貢献した三条実万を祀る為、三条家の邸宅跡に創建されました。その後1915年(大正4年)に大正天皇の即位を記念し、実万の子・三条実美が合祀されました。
梨木神社(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)
【京都御所(きょうとごしょ) 概要】
京都御所は上京区にある皇室関連施設です。京都御所は794年(延暦13年)の平安京遷都の際、内裏に代わる臨時の里内裏・土御門東洞院殿があった場所です。内裏は火災で度々焼失し、1227年(安貞元年)の火災でほぼ焼失し、その後再建されませんでした。南北朝時代に後醍醐天皇が京都を逃れ、光厳天皇が北朝初代天皇に即位すると土御門東洞院殿が北朝の内裏に定着し、1392年(明徳3年)の南北朝の合一後に正式な御所になりました。その後室町幕府3代将軍・足利義満が敷地を拡大し、織田信長や関白・豊臣秀吉が整備しました。ただその後度々焼失し、その都度再建されたり、建て替えられたりし、1855年(安政2年)に現在の内裏が再建されました。
京都御所(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)・京都御所見どころ
【仙洞御所(せんとうごしょ) 概要】
仙洞御所は上京区にある皇室関連施設です。仙洞御所は桃山時代に関白・豊臣秀吉が子・秀頼の為、聚楽第の後身として造営した城郭風邸宅・京都新城があった場所です。京都新城は太閤御屋敷・太閤御所・太閤上京御屋敷などとも言われていました。仙洞御所は1627年(寛永4年)に後水尾上皇の為、京都新城跡に造営され、正式名称を桜町殿と言いました。仙洞御所では小堀遠州が庭園を作庭したが、その後後水尾上皇の意向によって大きく改造されました。御殿は1854年(安政元年)に火災で内裏とともに焼失し、その後再建されることなく、庭園・茶室などだけが残されました。
仙洞御所(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)
【京都御苑(きょうとぎょえん) 概要】
京都御苑は環境省が管理運営しています。京都御苑は上京区にある南北約1,300メートル・東西約700メートル・総面積約92ヘクタールの国民公園です。京都御苑には苑内に京都御所・仙洞御所・大宮御所・京都迎賓館や宗像神社・厳島神社・白雲神社などがあります。京都御苑は天正年間に関白・豊臣秀吉が公家を御所周辺に移住させたことから江戸時代には200もの宮家・公家の邸宅が立ち並んでいました。しかし明治維新後に首都が東京に移ると御所周辺は荒廃しました。1877年(明治10年)に岩倉具視が旧慣保存の為、御所の保存を建議しました。そして京都府が火災延焼を防ぐ為、御所周辺の空き家を撤去して整備したのが京都御苑の起源です。
京都御苑(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)
【下鴨神社・京都御苑散策コース 備考】
散策コースではグーグルマップを使用して、スポットを紹介しています。