真如堂本堂・真如堂見どころ(修学旅行・観光)

真如堂本堂

●真如堂本堂は1986年(昭和61年)5月24日に国の重要文化財に指定されました。
●真如堂本堂は江戸時代中期の1717年(享保2年)に再建されました。真如堂は平安時代中期の984年(永観2年)に戒算上人(かいさんしょうにん)が創建し、室町時代の応仁の乱(おうにんんおらん)などで度々焼失したり、一条西洞院などに度々移転したりしたが、1693年(元禄6年)に第113代・東山天皇(ひがしやまてんのう)の勅によって現在の場所に移り、現在の本堂が再建されました。ちなみに安土桃山時代の1587年(天正15年)には関白・豊臣秀吉(とよとみひでよし)による聚楽第(じゅらくてい)の造営の為に一条通北から京極今出川に移され、江戸時代初期の1604年(慶長9年)には秀吉の子・豊臣秀頼(とよとみひでより)の寄進によって本堂が再建されたが、その本堂は1661年(寛文元年)に焼失しました。本堂は阿弥陀如来(あみだにょらい)・不動明王(ふどうみょうおう)・千手観音(せんじゅかんのん)を安置しています。
中尊・阿弥陀如来は秘仏で、その厨子は1年に1日だけ開帳(一般公開)されます。阿弥陀如来は平安時代に第3代天台座主である慈覚大師(じかくだいし)・円仁(えんにん)が造仏した一木造で、九品来迎印を示す最古の阿弥陀如来立像と言われています。慈覚大師・円仁が苗鹿大明神(のうかだいみょうじん)で見付けた霊木で刻み、比叡山修行僧の本尊として白毫(びゃくごう)を入れて完成させようとしたが、阿弥陀如来は首を振って拒否し、「では京に出てすべての人々、特に女性をお救いください」と頼むと阿弥陀如来は3度うなずいたと言われ、「うなずきの弥陀」と言われています。なお阿弥陀如来は洛陽六阿弥陀めぐりの第1番になっています。
左脇侍・不動明王は平安時代に造仏されたと言われています。不動明王は「真如堂縁起」によると陰陽師・安倍晴明(あべのせいめい)が不慮の死に見舞われた際、家に祀っていた念持仏の不動明王が閻魔大王(えんまだいおう)に直談判し、蘇生させたと言われています。その後1005年(寛弘2年)に安倍晴明が亡くなると真如堂に納められました。
右脇侍・千手観音に平安時代に天台宗(てんだいしゅう)の宗祖である伝教大師(でんぎょうだいし)・最澄(さいちょう)が造仏したと言われています。千手観音は六観音の一尊で、延命・病気平癒・夫婦円満・恋愛成就などの現世利益があるとも言われ、多くの手であらゆる人々を救済するとされています。
●真如堂本堂は桁行七間・梁間七間で、入母屋造(いりもやづくり)の本瓦葺(ほんがわらぶき)です。本堂は正面に向拝三間、背面に向拝一間があります。なお本堂は総欅(けやき)造で、内陣は金箔の天蓋(てんがい)や瓔珞(ようらく)で厳かに飾られています。
入母屋造は切妻造と寄棟造を組み合わせた屋根の形式です。寄棟造の屋根の上に切妻造の屋根を載せた形で、切妻造の四方に庇(ひさし)がついています。京都御所の紫宸殿(ししんでん)のように切妻と寄棟の角度が一続きでないものは錣屋根(しころやね)とも言われています。日本では古くから切妻造は寄棟造よりも格式が上とも言われ、それらの組み合わせた入母屋造は最も格式が高いとも言われています。入母屋造は法隆寺(ほうりゅうじ)の金堂・唐招提寺(とうしょうだいじ)の講堂に採用されています。
本瓦葺は陶器製で、断面が湾曲した矩形の平瓦と断面が半円状の丸瓦とを交互に組み合わせて屋根を葺く方法です。瓦葺は飛鳥時代に中国・朝鮮半島から寺院建築の技術とともに伝来しました。瓦葺は檜皮葺(ひわだぶき)・茅葺(かやぶき)・板葺(いたぶき)などに比べ耐水性・耐火性に優れ、台風の多い日本に適していました。なお本瓦葺は本葺き(ほんぶき)とも言われています。
真如堂

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