壬生寺新選組隊土等慰霊供養祭2025年7月16日(日程時間・・・)
壬生寺新選組隊土等慰霊供養祭(日程時間・アクセス・概要・・・)
壬生寺新選組隊土等慰霊供養祭(日程・時間・・・)を紹介しています。新選組隊土等慰霊供養祭は毎年池田屋事件が起こった7月16日に行われています。新選組隊土等慰霊供養祭は京都の治安と平和を願い、佐幕・勤皇両志士の慰霊の為に行われています。新選組隊土等慰霊供養祭では壬生塚・近藤勇(こんどういさみ)の胸像前で慰霊法要が行われます。(詳細下記参照)
【壬生寺新選組隊土等慰霊供養祭2025 日程時間(要確認)】
壬生寺新選組隊土等慰霊供養祭2025は2025年(令和7年)7月16日(水曜日)13:00から行われます。(現在確認中・要注意)
*参考・・・壬生寺ホームページ
【壬生寺新選組隊土等慰霊供養祭 アクセス・マップ】
場所・・・京都府京都市中京区坊城通仏光寺上ル壬生梛ノ宮町31
最寄り駅・バス停・・・壬生寺道(徒歩約3分)
アクセス路線は次の通りです。(最終更新2014年末・変更の場合あり)
*京都駅からは26系統(D3乗り場)、28系統(D3乗り場)
*四条河原町からは3系統、11系統、203系統
*河原町丸太町からは3系統
路線・時刻表・運賃チェック
*阪急電鉄京都線の場合、最寄り駅は大宮駅(徒歩約7分)
*嵐電(京福電鉄)嵐山本線の場合、最寄り駅は四条大宮駅(徒歩約7分)
【壬生寺新選組隊土等慰霊供養祭 歴史・簡単概要】
壬生寺新選組隊土等慰霊供養祭(しんせんぐみたいしとういれいくようさい)は毎年池田屋事件(いけだやじけん)が起こった7月16日に行われています。ちなみに7月16日(旧暦の6月5日)は祇園祭の宵山前日だったそうです。なお新選組隊土等慰霊供養祭は京都の治安と平和を願い、佐幕・勤皇両志士の慰霊の為に行われています。
新選組隊土等慰霊供養祭では壬生塚・近藤勇(こんどういさみ)の胸像前で慰霊法要が行われます。その後壬生寺会館ホールで有志による剣技や詩吟が披露されます。ちなみに新選組隊土等慰霊供養祭は誰でも参加することができるそうです。(要確認)
池田屋事件(池田屋事変・池田屋騒動・洛陽動乱)は1864年(元治元年)7月8日(旧暦の6月5日)に京都三条木屋町(三条小橋)にあった旅館・池田屋で起こりました。池田屋事件では京都守護職配下の新選組が長州藩・土佐藩などの尊王攘夷派志士を襲撃しました。近藤勇(こんどういさみ)・沖田総司(おきたそうじ)・土方歳三(ひじかたとしぞう)ら50余人の新選組が宮部鼎蔵(みやべていぞう)ら9名を討ち取り、4名を捕縛したと言われています。(諸説あり)木戸孝允(桂小五郎)は早めに到着し、一旦池田屋を出て対馬藩邸で大島友之允(おおしまとものじょう)と談話していたことから難を逃れたが、池田屋事件によって明治維新が1年遅れたとも、逆に早まったとも言われているそうです。
壬生塚は境内東方にある池の中の島で、新選組隊士の墓や近藤勇の胸像・遺髪塔などがあります。
【壬生寺 歴史・簡単概要】
壬生寺(みぶでら)は991年(正暦2年)に滋賀・園城寺(三井寺)の僧・快賢僧都(かいけんそうず)が母の為に創建したと言われています。壬生寺は当初小三井寺・地蔵院・宝幢三昧寺(ほうどうさんまいじ)などと言われていました。平安時代に第72代・白河天皇から篤く信仰され、京都の裏鬼門に当たることもあり、白河天皇の発願によって2月に節分会が行われるようになりました。その後火災によって焼失し、1259年(正元元年)に平政平(たいらのまさひら)が再興し、1300年(正安2年)には融通念仏の円覚上人(えんがくしょうにん)が京の三大狂言に数えられる「大念仏狂言(壬生狂言・壬生さんのカンデンデン)」を始めたと言われています。1863年(文久3年)に新選組(壬生浪士組)が結成され、壬生寺東門前の坊城通の八木邸・前川邸・南部邸が屯所と定められ、壬生寺の境内は新選組の兵法調練場として使われました。なお1962年(昭和37年)に本堂が全焼し、本尊・地蔵菩薩半跏像(壬生地蔵)も焼失しました。
壬生寺は律宗の大本山です。
*参考・・・壬生寺(アクセス・マップ・歴史・見どころ・・・)ホームページ
【壬生寺新選組隊土等慰霊供養祭 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
壬生寺(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)情報
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