相国寺経蔵・相国寺見どころ

相国寺経蔵

●相国寺経蔵は京都府指定有形文化財です。
●相国寺経蔵は幕末(江戸時代後期)の1860年(安政7年)に相国寺第120世・盈沖周整(えいちゅうしゅうせい)の寄進により、1788年(天明8年)の天明の大火で焼失した宝塔として再建されました。再建された宝塔は蔵経置場を兼用することになり、以来経蔵を兼ねた宝塔として利用されてきたが、お釈迦さまの遺骨である仏舎利(ぶっしゃり)が他の堂宇に移されると経蔵として使用されるようになりました。相国寺経蔵には高麗版(こうらいばん)一切経(いっさいきょう)が納められています。(大般若(だいはんにゃ)は元(中国)時代の普寧版(ふねいばん))
盈沖周整は江戸時代中期に生まれたと言われています。臨済宗(りんざいしゅう)の僧になり、1829年(文政12年)5月1日に相国寺に入り、その後相国寺第120世になりました。なお盈沖周整は幕末(江戸時代後期)の1861年(文久元年)に88歳で亡くなりました。
一般的に経蔵は寺院で「一切経」などの経典を納める蔵です。経蔵は経堂・経楼とも言われています。
「一切経」は仏教の経典を総集したものです。「一切経」は経蔵(きょうぞう・仏の教説集)・律蔵(りつぞう・仏弟子の生活規範)・論蔵(ろんぞう・インド仏教学者による経の解釈)の三蔵(さんぞう)を中心にそれらの注釈書などを加えたものです。「一切経」には古代インドの標準的文章語である梵語(ぼんご・サンスクリット語)・古代中西部インドのパーリ語の原典にチベット語・中国語・蒙古語・満州語などの訳本があります。「一切経」は「大蔵経(だいぞうきょう)」とも言われています。「一切経」は中国の南北朝時代(439年~580年)から使用され、「大蔵経」は中国の隋時代(581年~618年)から使用されています。
●相国寺経蔵は桁行三間・梁行二間の二階二重で、宝形造(ほうぎょうづくり)の本瓦葺(ほんがわらぶき)です。
宝形造は隅棟(すみむね)が屋根の中央に集まり、屋根の頂部に水平の棟を作らない屋根形式です。ちなみに宝形造は寄棟造(よせむねづくり)のように雨が四方に流れ落ちます。宝形造の名称は露盤(ろばん)・伏鉢(ふくばち)・宝珠(ほうじゅ))の総称を宝形と言うことに由来しています。なお宝形造は方形造とも言われています。屋根が六角形の場合に六注、八角形の場合に八注と言われています。
本瓦葺は陶器製で、断面が湾曲した矩形の平瓦と断面が半円状の丸瓦とを交互に組み合わせて屋根を葺く方法です。瓦葺は飛鳥時代に中国・朝鮮半島から寺院建築の技術とともに伝来しました。瓦葺は檜皮葺(ひわだぶき)・茅葺(かやぶき)・板葺(いたぶき)などに比べ耐水性・耐火性に優れ、台風の多い日本に適していました。なお本瓦葺は本葺き(ほんぶき)とも言われています。
相国寺見どころ

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