勝竜寺城公園(アクセス・マップ・見どころ・概要・・・)

勝竜寺城公園
勝竜寺城公園(アクセス・見どころ・歴史概要・料金・・・)情報を紹介しています。勝竜寺城公園が整備された1992年(平成4年)から長岡京市ガラシャ祭が行われ、細川ガラシャ(明智光秀の三女・明智玉)の輿入れを再現したお輿入れ行列・歴史文化行列・町衆祝い行列などの行列が勝竜寺城公園までの約3キロに渡って巡行します。
【勝竜寺城公園 アクセス・マップ】
場所・・・京都府長岡京市勝龍寺13-1
最寄り駅・バス停・・・長岡京駅(徒歩約10分)
アクセス路線は次の通りです。(最終更新2014年末・変更の場合あり)
*JR京都線
【勝竜寺城公園 拝観時間・時間(要確認)】
9:00~18:00(4/1~10/31)
9:00~17:00(11/1~3/31)
【勝竜寺城公園 拝観料金・料金(要確認)】
無料
【勝竜寺城公園 歴史・簡単概要】
勝竜寺城公園(しょうりゅうじじょうこうえん)は1992年(平成4年)に勝龍寺城跡を整備した都市公園です。勝龍寺城は南北朝時代の1339年(延元4年・暦応2年)に室町幕府侍所頭人で、細川京兆家の祖・細川頼春(ほそかわよりはる)が室町幕府初代将軍・足利尊氏の命により、南朝方から京都を防御する為に築城したとも言われています。また勝龍寺城は山城国守護・畠山義就(はたけやまよしひろ)が郡代役所として築城したとも言われています。その後1568年(永禄11年)に織田信長が室町幕府第15代将軍・足利義昭(あしかがよしあき)を奉じて上洛した際に勝竜寺城を攻撃させて落城させました。1571年(元亀2年)に細川藤孝(ほそかわふじたか・細川幽斎)が織田信長から山城国西岡一帯を与えられて勝竜寺城に入城し、二重の堀を持つ堅固な城郭に改修しました。1578年(天正6年)に明智光秀の三女・明智玉(あけちたま・細川ガラシャ)が16歳で細川藤孝の長男・細川忠興(ほそかわただおき)に嫁いで2年間(新婚時代)を過ごしましたが、1581年(天正9年)に細川藤孝が丹後に入封すると家臣が勝龍寺城が城主になりました。1582年(天正10年)に明智光秀が織田信長を急襲した本能寺の変によって明智光秀の属城になり、明智光秀が山崎の戦いで豊臣秀吉に敗れた際に勝竜寺城に立ち寄った後に坂本城に向かいました。その後勝竜寺城は淀古城の修築に利用されて一時荒廃し、江戸時代の1633年(寛永10年)に山城長岡藩主・永井直清(ながいなおきよ)が荒廃していた勝竜寺城を修築したが、1649年(慶安2年)に永井直清が摂津高槻藩に転封すると勝竜寺城は廃城になりました。 勝竜寺城公園には模擬櫓などがあります。なお勝竜寺城公園は日本の歴史公園100選に選ばれています。
*参考・・・勝竜寺城公園(アクセス・歴史・・・)
【勝竜寺城公園 見どころ・文化財(非公開の場合あり)】
勝竜寺城公園の見どころは北側・東側・西側に残っている土塁と北側・東側に残っている水堀です。西側の土塁は高さ約10メートル・幅約5メートル、水堀は幅約12メートルです。また秋に行われている名月の宴や11月の第2日曜日に行われている長岡京ガラシャ祭も見どころです。
【勝竜寺城公園 連絡先(現在確認中)】*電話は控えて下さい。迷惑になります。
電話番号・・・075-952-1146
【勝竜寺城公園 備考(アクセス・御朱印・駐車場・・・)】
【勝竜寺城公園 おすすめ散策ルート】
勝竜寺城公園からのおすすめ散策ルートは勝竜寺城公園周辺を回るルートです。勝竜寺城公園には勝竜寺城の土塁・水堀が残されており、京都観光・旅行を楽しむことができます。なお勝竜寺城公園は市街地から少し離れ、周辺には観光スポットがあまり多くない為、次の観光スポットに向かい、その周辺を散策した方がいいかもしれません。