角倉了以(すみのくらりょうい)と嵐山

角倉了以と嵐山

嵐山は古来から山水の美を兼ねた景勝地で、現在も国内外から多くの観光客が訪れています。観光客には嵐山と大堰川(桂川)に架けられている渡月橋の光景などが人気になっています。大堰川には古くから橋が架けられていたが、現在の位置に渡月橋を架けたのは角倉了以です。

【嵐山 歴史・簡単概要】
嵐山は一級河川・桂川(大堰川)に架けられて渡月橋の西側、京都市西京区に位置する標高約382メートルの山です。嵐山は古くから景勝地で、平安時代(794年~1185年)以降に紅葉名所として知られるようになり、皇族・貴族らが訪れ、付近に離宮・山荘などが営まれるようになりました。また嵐山では後嵯峨上皇(第88代・後嵯峨天皇)が奈良・吉野山から桜の木を移植すると桜名所にもなりました。嵐山は「日本さくら名所100選」・「日本の紅葉の名所100選」に選ばれています。また嵐山は国の史跡・国の名勝にも指定されています。なお嵐山・嵯峨野には桂川(大堰川)が流れて渡月橋が架けられ、世界遺産である天龍寺・二尊院・常寂光寺・化野念仏寺・虚空蔵法輪寺などの寺社が点在し、竹林の道(竹林の小径)などがあり、京都随一の観光地になっています。
嵐山桜見ごろ嵐山紅葉見ごろ

【角倉了以(すみのくらりょうい)】
嵐山は古来から山水の美を兼ねた景勝地で、現在も季節に関係なく、国内外から多くの観光客が訪れています。観光客には紅葉と桜の名所である嵐山と大堰川(おおいがわ・桂川)に架けられた渡月橋(とげつきょう)の光景などが人気になっています。大堰川には古くから橋が架けられていたが、現在の位置に渡月橋を架けたのは嵯峨の土倉業(金融業)・角倉了以(すみのくらりょうい)です。角倉了以は江戸時代(1603年~1868年)初期の1606年(慶長11年)に丹波亀岡から嵐山に流れ、保津川(ほづがわ)とも言われる大堰川(おおいがわ)を開削して舟運を開き、米や木材などの物資の輸送を可能にしました。その頃に渡月橋も現在の位置に架けられたと言われています。角倉了以が開削した保津川(大堰川)は嵐山観光で人気になっている保津川下りに利用されています。角倉了以は江戸時代前期の1614年(慶長19年)に千光寺(せんこうじ)を清凉寺(せいりょうじ)の西方中院から嵐山の現在の場所に移し、大悲閣(だいひかく)を建立しました。千光寺は嵐山にある紅葉名所になっており、紅葉シーズンに観光客が訪れます。角倉了以は江戸時代前期の1614年(慶長19年)に亡くなり、嵐山嵯峨野の二尊院(にそんいん)が墓所になっています。ちなみに大堰川を臨む嵐山公園の亀山地区には大堰川の舟運を開いた角倉了以を記念し、1912年(大正元年)に角倉了以の銅像が建立されました。ただ戦時中に金属供出で撤去されたが、1988年(昭和63年)に再建されました。二尊院には角倉了以の像、千光寺には角倉了以の木像もあります。
保津川下りは丹波亀岡から嵐山までの渓流約16キロを約2時間掛けて舟下りします。保津川には烏帽子岩・鎧岩・書物岩・大高瀬・二股の瀬・殿の漁場・女渕・鵜飼の浜などが連なる保津峡の渓谷美を楽しむことができます。
渡月橋は平安時代(794年~1185年)前期の承和年間(834年~848年)に弘法大師・空海の高弟・道昌が架けた法輪寺橋が起源と言われています。江戸時代(1603年~1868年)前期頃に角倉了以が現在の位置に架けたと言われています。現在の渡月橋は1934年(昭和9年)に完成し、2001年(平成13年)にリニューアルされました。渡月橋は北側の桂川左岸と南側の中州にある嵐山公園中之島地区(中之島公園)を結ぶ延長約155メートル・幅約11メートルの橋です。渡月橋は橋脚・橋桁は鉄筋コンクリート製だが、観光地である嵐山の風景に溶け込むよう欄干は木製になっています。なお渡月橋の名称は亀山上皇(第90代・亀山天皇)が橋の上の月を眺め、「くまなき月の渡るに似る」と感想を述べたことに由来しています。

●角倉了以は1554年(天文23年)に嵯峨の土倉業(金融業)・吉田宗桂と中村氏の娘の長男として生れました。角倉了以は嵯峨で医業と土倉業を営んだ角倉家一族です。1592年(文禄元年)に関白・豊臣秀吉から朱印状を得て、角倉船と称する朱印船をベトナム(安南)に派遣して貿易を行いました。1604年(慶長9年)以降は江戸幕府から朱印状を得て貿易を続けました。1606年(慶長11年)に私財を投じて大堰川(桂川・保津川)を開削しました。その後1612年(慶長12年)から江戸幕府の命によって富士川・天竜川・庄内川などを開削し、京都で高瀬川も開発しました。角倉家は河川の通船支配権を獲得し、材木の輸送によって有力な材木商になり、巨利を得ました。角倉家は公儀呉服師・茶屋四郎次郎の茶屋家と金座の当主・後藤庄三郎の後藤家とともに「京の三長者」とも言われています。なお角倉了以は1614年(慶長19年)8月17日に亡くなりました。

【角倉了以と嵐山】
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