霊山観音春季慰霊大法要(日程・時間・・・)

春季慰霊大法要

霊山観音春季慰霊大法要

霊山観音春季慰霊大法要(日程・時間・・・)を紹介しています。春季慰霊大法要は例年5月18日に行われています。春季慰霊大法要は殉国英霊安らかならん事を祈念して行われます。なお採灯大護摩供養では山伏により、信者などの願いが込められた護摩木を焚き上げて、祈願成就を願います。(詳細下記参照)

【霊山観音春季慰霊大法要2016 日程時間(要確認)】
霊山観音春季慰霊大法要2016は2016年5月18日(水曜日)13:00から行われます。なお14:00から採灯大護摩供養が行われます。

【霊山観音春季慰霊大法要 アクセス・マップ】
場所・・・京都府京都市東山区高台寺下河原町526-2
最寄り駅・バス停・・・東山安井(徒歩約10分)

アクセス路線は次の通りです。(最終更新2014年末・変更の場合あり)
*京都駅からは206系統(D2乗り場)
*四条河原町からは207系統
*四条烏丸からは207系統
*河原町丸太町からは202系統
路線・時刻表・運賃チェック

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【春季慰霊大法要 歴史・簡単概要】
霊山観音春季慰霊大法要(しゅんきいれいだいほうよう)は殉国英霊安らかならん事を祈念して行われる行事です。慰霊大法要は春季と秋季(11月3日)の年2回行われています。なお春季慰霊大法要では聖護院門跡(しょうごいんもんぜき)の山伏による採灯大護摩供養も行われます。採灯大護摩供養では山伏による問答・法弓の儀(ほうきゅうのぎ)・法剣の儀(ほうけんのぎ)などが行われ、その後に護摩壇に点火し、信者などの願いが込められた護摩木を焚き上げて、祈願成就を願います。願い事を書く護摩木は年間通して受付しているそうです。
太平洋戦争は1941年(昭和17年)12月8日~1945年(昭和20年)8月15日までの期間、日本軍とアメリカ・イギリス・中国・ソ連などの連合国との戦争です。太平洋戦争は日本軍による真珠湾への奇襲攻撃から始まり、広島・長崎への原爆投下とソ連の参戦により、無条件降伏であるポツダム宣言を受諾して終わりました。なお1937年(昭和12年)から始まった日中戦争から太平洋戦争までの期間、約230万人の日本軍の軍人・軍属が戦士し、約80万人の民間人が亡くなりました。なお太平洋戦争はアメリカが名付けたのもで、日本では大東亜戦争と言われていました。ちなみに太平洋戦争は満州事変・日中戦争とともに15年戦争とも総称されています。
聖護院門跡は1090年(寛治4年)白河上皇が熊野三山を参詣する熊野御幸の際、先達を務めた増誉大僧正(ぞうよだいそうじょう)が常光寺を賜り、聖体護持の二字から聖護院としたのが起源です。

【霊山観音 歴史・簡単概要】
霊山観音(りょうぜんかんのん)は1955年(昭和30年)に実業家で、帝産グループ創設者・石川博資(いしかわひろすけ)が第二次世界大戦(太平洋戦争)の戦没者・戦争犠牲者を追悼・慰霊する為に洛東霊山の麓に建立しました。石川博資は1916年(大正5年)に南米に渡り、中国・東南アジアを巡った後、1934年(昭和9年)に帝国産金鉱業を皮切りに帝産グループを創設しました。高さ約24メートル・重さ約500トンの観音坐像の下にある内陣には本尊・十一面観音(じゅういちめんかんのん)が安置されています。また観音坐像の胎内には十二支の守り本尊も安置されています。子(ね)が千手観音菩薩(せんじゅかんのんぼさつ)、丑寅(うしとら)が虚空蔵菩薩 (こくうぞうぼさつ)、卯(う)が文殊菩薩(もんじゅぼさつ)、辰巳(たつみ)が普賢菩薩(ふげんぼさつ)、午(うま)が勢至菩薩(せいしぼさつ)、未申(ひつじさる)が大日如来(だいにちにょらい)、酉(とり)が不動明王(ふどうみょうおう)、戌亥(いぬい)が阿弥陀如来(あみだにょらい)になります。なお霊山観音には世界無名戦士の碑もあり、毎日4回の法要が営まれています。
*参考・・・霊山観音(アクセス・マップ・歴史・見どころ・・・)ホームページ

【霊山観音春季慰霊大法要 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
霊山観音(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)情報

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