石清水八幡宮秋季献茶祭2025年10月27日(日程時間・・・)

石清水八幡宮秋季献茶祭
石清水八幡宮秋季献茶祭(日程・時間・・・)を紹介しています。秋季献茶祭は例年10月27日に行われています。秋季献茶祭(茶業生産振興献茶祭)は全国屈指の茶所である宇治・山城地域の茶生産者から奉納された煎茶・玉露・碾茶・かぶせ茶を神前にお供え、石清水八幡宮献茶講の主催によって茶業界の発展・振興を祈願します。(詳細下記参照)
【石清水八幡宮秋季献茶祭2025 日程時間(要確認)】
石清水八幡宮秋季献茶祭2025は2025年(令和7年)10月27日(月曜日)11:00から行われます。(現在確認中・要注意)
*参考・・・石清水八幡宮ホームページ
【石清水八幡宮秋季献茶祭 アクセス・マップ】
場所・・・京都府八幡市八幡高坊30
最寄り駅・バス停・・・石清水八幡宮駅(徒歩約15分)
アクセス路線は次の通りです。(最終更新2014年末・変更の場合あり)
*祇園四条駅から石清水八幡宮は京阪電鉄本線
【石清水八幡宮秋季献茶祭 歴史・簡単概要】
石清水八幡宮秋季献茶祭(しゅうきけんちゃさい)・茶業生産振興献茶祭は全国屈指の茶所である宇治・山城地域の茶生産者から奉納された煎茶・玉露・碾茶・かぶせ茶を神前にお供え、石清水八幡宮献茶講の主催によって茶業界の発展・振興を祈願します。秋季献茶祭では9月下旬頃に行われた献茶審査品評会の煎茶・玉露・碾茶・かぶせ茶の各部門で、優等賞以下各賞受賞者が発表され、褒賞式が行われます。
献茶審査品評会は9月下旬頃に行われ、各献茶家から奉納された煎茶・玉露・碾茶・かぶせ茶が厳正な審査されます。献茶審査品評会は外観と内質によって審査され、内質は香気(香り)・水色(お茶を淹れた時の色)・味の3点により審査されます。査用水には男山中腹に湧き出る霊泉・石清水が使用されます。
煎茶は日光を遮らずに栽培し、蒸して揉みながら乾燥させたお茶です。
玉露は新芽が2~3枚開き始めた頃から20日間ほどヨシズ・ワラで覆って、日光を遮って栽培したお茶です。
碾茶は茶葉を蒸し、揉まない緑茶で、抹茶の原料です。碾茶は石臼で挽かれて抹茶になります。
かぶせ茶は1週間ほどワラ・寒冷紗などで覆って、日光を遮って栽培したお茶です。
●石清水八幡宮の歴史(創建から現在)を紹介しています。
石清水八幡宮歴史(行教・清和天皇・・・)
●石清水八幡宮の見どころ(本殿・楼門など)を紹介しています。
石清水八幡宮見どころ
【石清水八幡宮 歴史・簡単概要】
石清水八幡宮(いわしみずはちまんぐう)は859年(貞観元年)に南都(奈良)大安寺(だいあんじ)の僧・行教(ぎょうきょう)が豊前(大分)・宇佐八幡宮(うさはちまんぐう・宇佐神宮)の祭神・八幡大神から「吾れ都近き男山の峯に移座して国家を鎮護せん」という神託を受け、男山の峯に神霊を奉安したのが起源と言われています。翌860年(貞観2年)に第52代・清和天皇が八幡造りの社殿(六宇の宝殿(ろくうのほうでん))を造営しました。石清水八幡宮の名称は男山に既にあった石清水山寺(摂社・石清水社)に由来しています。その後939年(天慶2年)の承平天慶の乱(平将門の乱・藤原純友の乱)の平定以来、国家鎮護の社として皇室に篤く崇敬され、第64代・円融天皇の行幸から天皇の行幸や上皇の御幸は240余度にもなりました。また清和天皇を祖とする源氏諸氏族の氏神としても崇敬されました。なお明治維新後の神仏分離により、神号を「八幡大菩薩」から「八幡大神」に改め、1871年(明治4年)に社号を「男山八幡宮」に改めたが、1918年(大正7年)には「石清水八幡宮」に改めました。
*参考・・・京都・石清水八幡宮(アクセス・マップ・歴史・見どころ・・・)ホームページ
【石清水八幡宮秋季献茶祭 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
石清水八幡宮(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)情報
石清水八幡宮見どころ(本殿・楼門など)