第123代・大正天皇(たいしょうてんのう)と五山送り火
第123代・大正天皇と五山送り火
五山送り火(大文字・妙法(松ケ崎妙法)・船形(船形万灯籠)・左大文字・鳥居形(鳥居形松明))は起源が明確ではないが、五山それぞれに数百年以上の歴史があると言われ、五山送り火以外でも点火される場合がありました。1898年(明治31年)には皇太子だった大正天皇(嘉仁親王)の京都滞在を歓迎する為に大文字が点火されました。
【五山送り火2027 日程】
五山送り火2027は2027年(令和9年)8月16日(月曜日)20:00から5分間隔で順次点火されます。なお五山送り火は原則雨天決行だが、気象条件によって点火時間が変更になる場合もあります。
五山送り火2027(鑑賞スポット・穴場・日程・・・)
【五山送り火 歴史・簡単概要】
五山送り火(ござんのおくりび)はお盆(おぼん・盂蘭盆(うらぼん))にあの世(冥府(めいふ))から帰ってきたお精霊さん(おしょらいさん)をあの世に送り返す仏教的行事です。五山送り火は宗教・歴史的な背景から「大文字の送り火」とも言われることがあります。五山送り火はいつ始まったかは明確ではありません。一説には多くの灯明を灯して仏神を供養する万灯会(まんどうえ)が山の山腹で行われるようになり、お盆の精霊の送り火(門火(かどび))になったとも言われています。
【第123代・大正天皇(たいしょうてんのう)】
五山送り火(大文字(だいもんじ)・妙法(みょうほう・松ケ崎妙法)・船形(ふながた・船形万灯籠)・左大文字(ひだりだいもんじ)・鳥居形(とりいがた・鳥居形松明))は起源が明確ではないが、五山それぞれに数百年以上の歴史があると言われ、五山送り火以外でも点火される場合がありました。1898年(明治31年)には皇太子だった大正天皇(嘉仁親王(よしひとしんのう))の京都滞在を歓迎する為に大文字が点火されました。
京都市が公式に編纂した年表資料に「明治31(1898)年10月27日 皇太子嘉仁親王 京都滞在(略)大文字点火」と記され、10月27日に皇太子・嘉仁親王(大正天皇)の京都滞在を歓迎する為に大文字に明かりが灯されたことが分かります。嘉仁親王は10月27日の昼間に二条離宮(二条城)で公務をこなし、夜に京都市民による歓迎の催しを見物しました。大文字はお盆(盂蘭盆(うらぼん))の宗教行事の為、普段京都市や警察署の許可なく点火することはできないが、嘉仁親王の行啓奉迎(歓迎)の為特別に許可されたと言われています。
1898年(明治31年)11月には大阪府南部を中心に「明治三十一年陸軍特別大演習」が行われることになり、嘉仁親王(大正天皇)が演習の統監と近畿巡啓の為に京都に入ったと言われています。また同年10月から長期滞在し、約2週間にわたって京都市内・陵墓・寺社などを巡覧したと言われています。なお大正天皇は皇太子時代に二条離宮に10回滞在しました。二条離宮は大正天皇即位の儀式である即位礼の饗宴場としても使用され、南門が増築されました。
●大正天皇は1879年(明治12年)8月31日に明治天皇と権典侍・柳原愛子の間に明治天皇の第3皇子・明宮嘉仁親王として青山御所の御産所で生まれました。明治天皇の第1皇子・稚瑞照彦尊は死産、第2皇子・建宮敬仁親王は夭折でした。生母・柳原愛子は体調が悪く、難産だったことから全身に発疹がある虚弱状態で生まれ、生後から断続的に嘔吐・痙攣などに見舞われ、危険な状態になりました。同年12月に伝統で里子として、明治天皇の外祖父・中山忠能邸に移され、祖母・中山慶子を中心に養育されました。1883年(明治16年)から講読・習字が開始され、1885年(明治18年)3月に青山御所の新御殿に移り、病弱だったことから青山御所の御学問所で個人授業を受け、1887年(明治20年)9月から学習院予備科に通学しました。1889年(明治22年)2月に赤坂離宮の東宮御所に移り、同年11月に皇太子になり、陸軍歩兵少尉に任官されました。1891年(明治24年)頃から皇太子妃選びが始まり、1893年(明治26年)5月に伏見宮貞愛親王の第1王女・禎子女王に内定しました。1893年(明治26年)に学習院初等科を卒業し、中等科に進学したが、病弱による勉学の遅れで中等科1年修了で退学しました。その後個人授業を受けたが、勉学による健康悪化が繰り返され、1898年(明治31年)から健康第一に教育方針が変更されました。1898年(明治31年)に禎子女王に肺病の疑いがあるとされ、1899年(明治32年)8月に公爵・九条道孝の四女・九条節子(貞明皇后)が皇太子妃に内定し、1900年(明治33年)2月に九条節子との婚約が決定され、5月に婚礼が行われました。その後裕仁親王(昭和天皇)・秩父宮雍仁親王・高松宮宣仁親王・三笠宮崇仁親王が生まれました。1912年(明治45年)7月に明治天皇が崩御すると天皇に即位し、1915年(大正4年)11月に即位式が行われました。即位後に健康が優れずに病気が進み、1921年(大正10年)11月に皇太子・裕仁親王を摂政に任命しました。大正天皇は文才豊かで、漢詩に優れ、20数年間に1,367首を作りました。大正天皇は皇太子時代に沖縄を除く、全府県を回り、1907年(明治40年)に史上初の皇太子の海外渡航として合併前の韓国を訪問しました。なお大正天皇は1926年(大正15年)12月25日に肺炎に伴う心臓麻痺で崩御しました。
【第123代・大正天皇と五山送り火 備考】
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