高倉神社・髙倉神社(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)
高倉神社・髙倉神社
高倉神社・髙倉神社(アクセス・見どころ・歴史概要・料金・・・)情報を紹介しています。高倉神社の祭神である以仁王は後白河天皇の皇子として生まれました。平安時代末期に平氏打倒の令旨を全国の源氏に発して挙兵を促し、自らも挙兵したが、南山城で平氏軍に討たれて亡くなったと言われています。
【高倉神社・髙倉神社 アクセス・マップ】
場所・・・京都府綾部市高倉町奥路45
最寄り駅・バス停・・・高倉公園前(徒歩約10分)
アクセス路線は次の通りです。(最終更新2014年末・変更の場合あり)
*JR山陰線・綾部駅からあやバス・篠田桜が丘線
路線・時刻表・運賃チェック
【高倉神社・髙倉神社 拝観時間・時間(要確認)】
自由
【高倉神社・髙倉神社 拝観料金・料金(要確認)】
無料
【高倉神社・髙倉神社 歴史・簡単概要】
高倉神社(たかくらじんじゃ・髙倉神社)は京都府綾部市高倉町にあります。高倉神社は平安時代末期の1181年(養和元年)9月9日に第77代・後白河天皇(ごしらかわてんのう)の第3皇子・以仁王(もちひとおう)の神霊を現在の場所である奥谷の森の髙倉に遷して祀り、「高倉天一大明神(たかくらてんいちだいみょうじん)」として創建されたと言われています。以仁王の父・後白河法皇は1179年(治承3年)に平氏打倒を目指したが、平氏に幽閉され、以仁王も城興寺(じょうこうじ)領を没収されました。1180年(治承4年)に以仁王は多田源氏・源頼政(みなもとのよりまさ)の勧めにより、平氏打倒の令旨を全国の源氏に発し、源頼政は以仁王を奉じて挙兵したが、宇治で敗れて平等院(びょうどういん)で自刃しました。以仁王は南都(奈良)に落ち延びる途中の光明寺下で流れ矢に当たって亡くなったと偽り、大槻光頼・渡辺俊久ら12名の武将とともに源頼政の所領であった丹波の国吉見郷に落ち延びたが、1180年(治承4年)6月9日に矢傷が悪化し、「後世、庶民の腹痛の悩みを吾れ代わって救わん」と仁慈の言葉を遺して亡くなたと言われています。以仁王の遺体は里の宮地(里宮高倉神社)に葬って霊廟が建てられたが、1181年(養和元年)に高倉神社が創建されたと言われています。高倉神社は皇大神宮(天照皇大御神(あまてらすすめおおみかみ))・伊邪那岐神社(伊邪那岐大神(いざなぎのおおかみ)・伊邪那美大神(いざなみのおおかみ)・大地主神社(大地主命(おおとこぬしのみこと))・八坂神社(素盞鳴命(すさのうのみこと))・金刀比羅神社(大物主命(おおものぬしのみこと))・稲荷神社(宇迦之御魂大神(うかのみたまのおおかみ))・天満宮(菅原道真(すがわらのみちざね))・十二士神社(以仁王の従者十二士)も祀っています。
*参考・・・高倉神社・髙倉神社(アクセス・マップ・歴史・見どころ・・・)
【高倉神社・髙倉神社 見どころ・文化財(非公開の場合あり)】
高倉神社の見どころは例年7月最初の土用の丑の日に行われる土用の丑大祭(土用の丑まつり)です。
【高倉神社・髙倉神社 連絡先(現在確認中)】*電話は控えて下さい。迷惑になります。
電話番号・・・0773-43-1838(高倉神社)
【高倉神社・髙倉神社 備考(アクセス・御朱印・駐車場・・・)】
【高倉神社・髙倉神社 おすすめ散策ルート】
高倉神社からのおすすめ散策ルートは南側に位置する高倉公園に向かうルートです。10分ほど散策すると高倉公園に行くことができ、のんびり休憩することができます。なお高倉神社周辺にはあまり観光スポットが多くない為、次の観光スポットに向かい、その周辺を散策するのもいいかもしれません。