鷲尾隆康(わしのおたかやす)の「二水記」と祇園祭

鷲尾隆康の「二水記」と祇園祭

権中納言・鷲尾隆康は有職故実に精通し、参議に列したこともあり、日記「二水記」には朝廷の行事・皇族の日常や室町幕府の動向、そして朝廷と幕府の交渉などが記述されています。「二水記」には1522年(大永2年)6月27日に室町幕府12代将軍・足利義晴が伊勢貞孝・大舘尚氏らと下御所の桟敷で祇園祭を見物したことが記されています。

【祇園祭2026 日程】
祇園祭2026は2026年(令和8年)7月1日(水曜日)の吉符入から2026年(令和8年)7月31日(金曜日)の疫神社の夏越祭までの7月1ヶ月に渡って行われます。
祇園祭2026日程一覧(宵山屋台・山鉾巡行・・・)

【祇園祭 歴史・簡単概要】
祇園祭(ぎおんまつり)は平安時代前期の869年(貞観11年)に全国に疫病が流行し、牛頭天王(ごずてんのう)・素戔嗚尊(すさのおのみこと)の祟りであるとし、卜部日良麿(うらべのひらまろ)が神泉苑(しんせんえん)に国の数と同じ66本の鉾を立て、悪霊を移して穢れを祓い、薬師如来(やくしにょらい)の化身とされる牛頭天王を祀り、更に牛頭天王を主祭神とする八坂神社から3基の神輿を送り、病魔退散(びょうまたいさん)を祈願した祇園御霊会(ぎおんごりょうえ)が起源と言われています。970年(天禄元年)から毎年に行われるようになりました。
祇園祭歴史年表・由来(869年~)

【鷲尾隆康(わしのおたかやす)の「二水記」】
権中納言(ごんちゅうなごん)・鷲尾隆康は有職故実(ゆうそくこじつ)に精通し、参議に列したこともあり、日記「二水記(にすいき)」には朝廷の行事・皇族の日常や室町幕府の動向、そして朝廷と幕府の交渉などが記述されています。また祇園祭も記されています。
「二水記」1522年(大永2年)6月27日の条に「足利義晴が祇園会を見物するため下御所に赴く。伊勢貞孝、大舘尚氏等が供をする。」と記され、僅か12歳だった室町幕府12代将軍・足利義晴(あしかがよしはる)が将軍に就任した翌1522年(大永2年)に祇園祭を下御所の桟敷で見物したことが分かります。足利義晴には政所執事(まんどころしつじ)で、足利義晴臨終の際に遺言を聞いた伊勢貞孝(いせさだたか)や幕臣の長老で、娘を足利義晴の側室とした大舘尚氏(おおだてなおうじ)がお供をし、室町幕府管領・細川高国(ほそかわたかくに)らと見物しました。「二水記」には足利義晴と女房衆が入った二間の桟敷に御簾(みす)が下ろされていた絵も描かれています。ちなみに1522年(大永2年)は6月7日・14日に通常の祇園祭が行われ、6月27日は足利義晴の見物の為に行われたようです。祇園祭では時の権力者の見物の為に山鉾巡行のルートが変更されることがあり、祇園祭は政治の影響を受けたようです。なお南北朝時代(1337年~1392年)以降、山鉾巡行は室町幕府が氏子から徴収する在地之所役をもって行っていた時期がありました。
「二水記」には1522年(大永2年)だけでなく、1504年(永正元年)・1505年(永正2年)・1518年(永正15年)・1520年(永正17年)・1523年(大永3年)・1525年(大永5年)・1526年(大永6年)・1527年(大永7年)・1528年(大永8年)・1530年(享禄3年)・1531年(享禄4年)・1532年(天文元年)の祇園祭も記されています。1523年(大永3年)は滋賀・日吉大社(ひよしたいしゃ)の山王祭の延引きにより、12月14日・21日に祇園祭が行われたことが分かります。1525年(大永5年)も日吉大社の山王祭の延引きにより、11月17日・24日に祇園祭が行われたことが分かります。1528年(大永8年)は8月7日・14日に祇園祭が行われたことが分かります。1532年(天文元年)は12月7日・14日に祇園祭が行われたことが分かります。八坂神社は974年(天延2年)に延暦寺(えんりゃくじ)の別院になったと言われ、その後延暦寺とその守護神である日吉大社の影響を受け、祇園祭が中止されたり、延期されたりすることも度々ありました。室町時代(1336年~1573年)から戦国時代(1493年~1590年)に初夏の祭である祇園祭が晩秋・初冬に行われることは珍しいものではありませんでした。
「二水記」1504年(文亀4年)1月29日の条に「自申終至夜火事、烏丸自一家東西火出、正親町北行ツラ半町悉焼,於橘之通子留(己上廿家計也)風戍亥ヨリ吹テ内裏十所計焼上」と記され、1月29日に火事が発生し、烏丸から出火して戍亥(いぬい)からの風により、内裏(だいり)が10カ所ほど類焼したことが分かります。「二水記」には火事などの出来事なども記されています。

●鷲尾隆康は1485年(文明17年)に公卿・歌人である四辻季経の次男として生まれました。その後鷲尾隆頼の養子になりました。1488年(長享2年)に叙爵され、1501年(文亀元年)に従五位上に叙されました。その後左少将・左中将などを歴任し、1515年(永正12年)に参議になりました。1517年(永正14年)に尊賀丸(隆恵)が誕生し、その後1524年(大永4年)に次男、1527年(大永7年)に長女も誕生しました。1521年(大永元年)に権中納言に任じられ、1522年(大永2年)に実母・月叟が亡くなり、1523年(大永3年)に権中納言を辞しました。1527年(大永7年)に正二位に昇叙しました。1524年(大永4年)に青蓮院の僧侶から琴相伝され、同年に実父・四辻季経が亡くなりました。鷲尾隆康は有職故実に精通し、遊芸も堪能であった為、「二水記」に連歌・蹴鞠・囲碁・貝合わせなどが記されています。なお鷲尾隆康は1533年(天文2年)に亡くなりました。
「二水記」は「一止記(いっしき)」とも言われています。「二水記」には戦国時代の1504年(永正元年)から1533年(天文2年)までが記されています。ただ1506年(永正3年)から1516年(永正13年)・1524年(大永4年)・1530年(享禄2年)などが欠落しています。「二水記」には朝儀復興の為の有職故実や戦国時代に没落した公家社会などが記述されています。また細川氏の分裂・抗争や室町幕府10代将軍・足利義稙(義材)の入京・出奔など政治的な混乱も記述されています。なお鷲尾隆康が亡くなると鷲尾家は断絶したが、「二水記」は鷲尾隆康の実兄・四辻公音が有して保管し、1601年(慶長4年)に第107代・後陽成天皇の勅命によって書写が行われて写本が出来上がりました。その後四辻季満が鷲尾家を継いで鷲尾隆尚と改名し、「二水記」も受け継ぎました。

【鷲尾隆康の「二水記」と祇園祭 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
祇園祭2026日程(ちまき販売・宵山屋台・・・)

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