天龍寺勅使門・天龍寺見どころ

天龍寺勅使門

●天龍寺勅使門は1988年(昭和63年)4月15日に京都府指定文化財に指定されました。
●天龍寺勅使門は「大工頭・中井家文書」によると慶長年間(1596年~1615年)に御所・明照院の禁門として建てられ、江戸時代前期の1641年(寛永18年)に移されたと言われています。天龍寺勅使門は天龍寺山内最古の建物です。
一般的に勅使門は天皇の使者・勅使が寺院に参向した際に出入りに使われる門です。ちなみに使者は上皇の場合に院使(いんし)、皇后の場合に皇后宮使(こうごうぐうし)、中宮の場合に中宮使(ちゅうぐうし)、皇太后の場合に皇太后宮使(こうたいごうぐうし)、女院の場合に女院使(にょいんし)と言われます。
京都御所は794年(延暦13年)の第50代・桓武天皇による平安京遷都の際、内裏に代わる臨時の里内裏・土御門東洞院殿(つちみかどひがしのとういんどの)でした。平安京遷都時の内裏は京都御所から西約1.7キロの千本通(平安京の朱雀大路)沿いにあったが、失火や政変による火災によって度々焼失し、鎌倉時代の1227年(安貞元年)の火災後に再建されることはありませんでした。その後南北朝時代に第96代・後醍醐天皇が京都を逃れ、光厳天皇が北朝初代天皇になると土御門東洞院殿が北朝の内裏に定着し、1392年(明徳3年)の南北朝の合一後に正式な御所になりました。室町時代に室町幕府3代将軍・足利義満(あしかがよしみつ)が敷地を拡大し、安土桃山時代に織田信長(おだのぶなが)や関白・豊臣秀吉(とよとみひでよし)が整備しました。しかしその後度々焼失し、その都度再建されたり、建て替えられたりし、江戸時代後期の1855年(安政2年)に現在の内裏が再建されました。
●天龍寺勅使門は四脚門で、切妻造(きりづまづくり)の銅板葺(どうばんぶき)です。天龍寺勅使門は長さ約11.8メートルの本瓦葺の築地塀付きです。
切妻造は屋根の最頂部の棟(むね)から両側に葺き下ろし、その両端を棟と直角に切った屋根の形式です。切妻造は本を開いて伏せたような形で、平行な面を平(ひら)、棟と直角な面を妻(つま)と言います。切妻造は古くは真屋(まや)とも言われ、伊勢神宮(いせじんぐう)・出雲大社(いづもたいしゃ)などの社殿に採用されています。ちなみに四方向に傾斜する屋根面を持つ寄棟造(よせむねづくり)よりも格式が上とも言われています。なお切妻造は世界各地で見られる屋根の形式です。
銅板葺は銅を薄くした銅板で屋根を葺く方法です。銅板葺は近世に本格的に始まり、神社・霊廟などに多く用いられています。銅板葺は瓦葺に比べると自重が軽くて耐震性があり、檜皮葺・こけら葺に比べると耐久性があるとい言われています。なお765年(天平宝字9年・天平神護元年)に奈良・西大寺(さいだいじ)で銅板葺が用いられたのが最古の記録とも言われています。
天龍寺見どころ

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