天龍寺八幡社・天龍寺見どころ

天龍寺八幡社

●天龍寺八幡社はかつて亀山(かめやま)山頂に祀られていたが、1875年(明治8年)に現在の場所に移されました。八幡社は南北朝時代の1344年(興国5年・康永3年)に夢窓疎石(むそうそせき)の霊夢によって祀られたとも言われています。なお夢窓疎石は1346年(興国7年・貞和2年)に天龍寺山内の十ヵ所を名勝(普明閣(ふみょうかく・勅使門の奥にあった旧山門)・絶唱谿(ぜっしょうけい・大堰川の清流)・霊庇廟(れいひびょう・鎮守八幡)・曹源池(そうげんち・方丈の林泉)・拈華嶺(ねんげれい・嵐山の絶景)・渡月橋(とげつきょう・少し上流にあった渡月橋)・三級巖(さんきゅうがん・嵐山の音無瀬の滝)・万松洞(ばんしょうどう・総門から渡月橋への松並木)・龍門亭(大堰川畔の茶亭)・亀頂塔(きちょうとう・亀山山頂にあった九重の塔))に定め、八幡社は霊庇廟とされています。
夢窓疎石は鎌倉時代の1275年(建治元年)に伊勢国(三重県)に生まれました。幼少時に出家し、母方の一族の争いで甲斐国(山梨県)に移り、1283年(弘安6年)に甲斐・平塩寺(へいえんじ)の空阿(くうあ)に師事して天台宗・真言宗などを学びました。1292年(正応5年)に奈良・東大寺(とうだいじ)戒壇院の慈観(じかん)のもとで受戒し、その後京都・建仁寺(けんにんじ)の無隠円範(むいんえんぱん)に禅宗を学びました。その後鎌倉に赴き、奥州などを遊歴し、鎌倉時代後期の1325年 (正中2年) に南朝初代で、第96代・後醍醐天皇の勅によって京都・南禅寺(なんぜんじ)の住持になりました。南北朝時代(室町時代)に室町時代初代将軍・足利尊氏(あしかがたかうじ)の帰依を受け、京都・苔寺(こけでら)の中興開山になり、京都・天龍寺(てんりゅうじ)の開山になりました。夢窓疎石は1351年(観応2年・正平6年)10月20日に亡くなりました。なお夢窓疎石は歴代天皇から国師号を生前に夢窓国師(むそうこくし)・正覚国師(しょうがくこくし)・心宗国師(しんしゅうこくし)、死後に普済国師(ふさいこくし)・玄猷国師(げんにゅうこくし)・仏統国師(ぶっとうこくし)・大円国師(だいえんこくし)に渡って賜与され、七朝帝師(しちちょうていし)とも称されました。
●天龍寺八幡社は八万大菩薩(はちまんだいぼさつ)を祀っています。
八万大菩薩は武運の神(武神)とされる八幡神(やはたのかみ・はちまんしん)に対して奉られた菩薩号です。奈良時代に始る神仏習合により、八幡神の本地を菩薩とした称号です。八万大菩薩は奈良時代の781年(天応元年)に宇佐(うさ)八幡神を護国霊験威力神通大菩薩(ごこくれいげんいりょくじんつうだいぼさつ)と称したのに始るとされています。なお八幡神は誉田別命(ほんだわけのみこと)とも言われ、第15代・応神天皇と同一とされています。八幡神は第15代・応神天皇(誉田別命)の神霊で、571年(欽明天皇32年)に初めて宇佐の地に示顕したとも言われています。
天龍寺見どころ

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