天龍寺硯石・天龍寺見どころ(修学旅行)

天龍寺硯石

●天龍寺硯石は多宝殿北側にある庭園にあります。硯石は1899年(明治32年)に日本画家・鈴木松年(すずきしょうねん)が法堂の天井に雲龍図を描いた際に使われたと言われています。鈴木松年は60数人の修行僧が摺った墨を使って、大筆で一気に勇壮な雲龍図を描いたと言われています。その後臨済宗天龍寺派管長・橋本峨山(はしもとがざん・橋本昌禎(はしもとしょうてい))が鈴木松年の遺徳を偲んで硯石を建立しました。なお硯石は高さ約2メートルで、書道が上達するご利益があると言われているそうです。
鈴木松年は江戸時代後期の1848年(嘉永元年)7月14日に日本画家で、鈴木派の祖・鈴木百年(すずきひゃくねん)の長男として京都東洞院錦小路で生まれました。幼い頃から父・鈴木百年から絵の手ほどきを受けたが、軍談・喧嘩を好んだことばどから画家を志したのは20歳を過ぎだったと言われています。22歳の時に一日千枚描く席画会を実施しました。その後父・鈴木百年から独立し、鈴木百年の住居裏の東洞院錦上ルに画室兼住居を設け、東錦楼と称しました。江戸時代中期の絵師・曾我蕭白(そがしょうはく)や江戸時代中期から後期の絵師・岸駒(がんく)に私淑し、また洋画も独学しました。32歳頃に鈴木百年を超えようと画号を「松年」に改めました。1881年(明治14年)に幸野楳嶺(こうのばいれい)に代って京都府画学校の北宗担当の副教員になり、1888年(明治21年)に京都府画学校を退職しました。1892年(明治25年)に森寛斎(もりかんさい)・谷口藹山(たにぐちあいざん)・望月玉泉(もちづきぎょくせん)らと小春会を結成しました。その後祇園白川畔の大画室を鶴寿軒と号し、1907年(明治40年)の「大日本著名画家名鑑」の番付表では今尾景年(いまおけいねん)・橋本雅邦(はしもとがほう)・森琴石(もりきんせきら)と並んで「総後見」にランク付けされました。鈴木松年は1882年(明治15年)の第1回内国絵画共進会に「蘇東坡図」・「老松図」、1890年(明治23年)の第3回内国勧業博覧会に「雪景山水図」、1893年(明治26年)のシカゴ万国博覧会に「雪中寒鴉図」「春景山水図」に出品し、「仁王画(因幡堂平等寺)」・「群仙図(静嘉堂文庫)」・「松龍騰空図(三千院客殿)」などを描きました。なお鈴木松年は1918年(大正7年)1月29日に亡くなりました。
法堂は1864年(元治元年)の禁門の変(きんもんのへん)によって焼失し、明治時代に江戸時代後期に建立された雲居庵禅堂(うんごあんぜんどう・選佛場(せんぶつじょう))を移して再建されました。
雲龍図は龍が仏法を守護する八部衆(はちぶしゅう)のひとつとされていることから法堂(はっとう)などの天井に描かれています。法堂は僧侶が経典の講義や説教などをする場で、雨を呼ぶ水神の龍が仏法の教えを雨のように降らすと言われています。また水神の龍が寺院を火から守るとの意味も込められていると言われています。
天龍寺見どころ

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