天得院桔梗見ごろ2024(6月中旬~7月中旬頃)
天得院桔梗見ごろ(見頃)
天得院桔梗見ごろ(時期・イベント等)を紹介しています。天得院では枯山水庭園に約300株の桔梗が植えられ、紫・白色の花を咲かせます。枯山水庭園では一面を覆う緑の杉苔と凛と咲く紫・白色の桔梗の花のコントラストが美しいと言われています。また本堂にある釣鐘型の華頭窓からの眺めも趣があるとも言われています。(詳細下記参照)
【天得院桔梗見ごろ(例年時期)】
天得院の桔梗見ごろは例年6月中旬頃から7月中旬頃です。なお桔梗の見ごろはその年の気候などによって多少前後することがあります。
京都桔梗名所・見ごろ
【天得院桔梗見ごろ アクセス・マップ】
場所・・・京都府京都市東山区本町15-802
最寄り駅・バス停・・・東福寺(徒歩約5分)
アクセス路線は次の通りです。(最終更新2014年末・変更の場合あり)
*京都駅から天得院は208系統(D2乗り場)
*四条河原町からは207系統
*四条烏丸町からは207系統
*河原町丸太町からは202系統
路線・時刻表・運賃チェック
*JR奈良線の場合、最寄り駅は東福寺駅(徒歩約7分)
*京阪電鉄本線の場合、最寄り駅は東福寺駅(徒歩約7分)
【天得院桔梗見ごろ(例年時期)・見どころ 簡単概要】
天得院は京都を代表する桔梗(キキョウ)の名所です。天得院の桔梗見ごろは例年6月中旬頃から7月中旬頃です。
天得院では枯山水庭園に約300株の桔梗が植えられ、紫・白色の花を咲かせます。枯山水庭園では一面を覆う緑の杉苔と凛と咲く紫・白色の桔梗の花のコントラストが美しいと言われています。また本堂にある釣鐘型の華頭窓(かとうまど)からの眺めも趣があるとも言われています。天得院にはアジサイも植えられ、桔梗と一緒に楽しめる場合もあります。なお天得院は通常非公開だが、桔梗の見ごろに合わせて一般に特別公開されます。(要確認)
枯山水庭園は安土桃山時代に作庭されたとも言われています。1968年(昭和43年)に作庭家・中根金作の指導によって一部が補修されました。枯山水庭園は自然石・杉苔・槙などの植物から構成され、苔は大海を表すとも言われています。
本堂は1868年(明治元年)に本成を合寺して再建されました。
桔梗はキキョウ科の多年草です。絶滅危惧種に指定されています。桔梗は日本・朝鮮半島・中国・東シベリアなどの温帯の日当たりのよい山野の草地などに自生しています。桔梗は高さ50センチ~1メートルで、葉は長卵形で、先が尖って縁に鋸歯(きょし)があります。桔梗は茎頂近くに鐘状(しょうじょう)で、先が星型に5裂した径3~5センチの花を横向きに1~3個咲かせます。花は青紫色から淡紫色だが、白花・桃色花・二重咲など園芸品種もあります。桔梗は女郎花(おみなえし)・尾花(おばな)・撫子(なでしこ)・藤袴(ふじばかま)・葛(くず)・萩(はぎ)とともに秋の七草に数えられているが、花を6月中旬頃の梅雨頃から初秋の9月頃まで咲かせます。なお桔梗は根にサポニンが多く含まれ、古くから生薬として利用され、鎮咳・去痰・排膿などの効能があると言われています。
【天得院 歴史・簡単概要】
天得院(てんとくいん)は南北朝時代の正平年間(1346年~1370年)に東福寺(とうふくじ)第30世住持・無夢一清禅師(むむいっせいぜんじ)が創建しました。天得院は東福寺五塔頭のひとつとして隆盛を誇りました。しかしその後荒廃し、中興の祖・大機慧雄禅師(だいきえゆうぜんじ)が再興し、江戸時代前期の1614年(慶長19年)に東福寺第227世・文英清韓(ぶんえいせいかん)が住持になりました。文英清韓は関白・豊臣秀吉(とよとみひでよし)の子・豊臣秀頼(とよとみひでより)の要請により、方広寺(ほうこうじ)の梵鐘(ぼんしょう)の鐘銘を撰文したが、鐘銘中に「国家安康(こっかあんこう)」・「君臣豊楽(くんしんほうらく)」の文字があり、江戸幕府初代将軍・徳川家康(とくがわいえやす)を引き裂き、豊臣家の繁栄を願うとして、徳川家康の怒りを招いて取り壊されました。その後江戸時代後期の1789年(天明9年)に伽藍が再建され、1868年(明治元年)に東福寺山内塔頭・本成寺(ほんじょうじ)を合寺しました。
天得院は臨済宗東福寺派大本山・東福寺の塔頭です。
*参考・・・天得院(アクセス・マップ・歴史・見どころ・・・)ホームページ
【天得院桔梗見ごろ 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
天得院(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)情報