徳林庵の歴史-修学旅行・観光の簡単解説

徳林庵桜

徳林庵の歴史を時代別年表にまとめ

徳林庵の歴史を簡単にまとめています。徳林庵は1550年(天文19年)に南禅寺260世・雲英正怡禅師が先祖にあたる第54代・仁明天皇の第4皇子・人康親王を弔う為に創建したと言われています。その後現在の場所に移されたとも言われています。(時代別年表・重要人物下記参照)

徳林庵(アクセス・歴史・・・)

【人康親王(さねやすしんのう)】

●人康親王は第54代・仁明天皇(にんみょうてんのう)の第4皇子として生まれ、その後が失明し、山科御所を営んで隠棲しました。人康親王は琵琶(びわ)の名手で、琵琶法師の祖神とも言われています。
●保元年間(1156年~1159年)に第77代・後白河天皇(ごしらかわてんのう)の勅命により、平清盛(たいらのきよもり)が西光法師(さいこうほうし)に命じ、都に通じる主要街道の入口に山科地蔵(やましなじぞう)を含む5体の地蔵尊を祀ったと言われています。なお6体の地蔵尊は平安時代前期に昼は宮中に赴き、夜は閻魔之廰(えんまのちょう)に仕えた公卿(くぎょう)・小野篁(おののたかむら)が一度亡くなって冥土(めいど)に行き、生身の地蔵尊(じぞうそん)を拝して蘇り、1本の桜から自ら刻んで大善寺(だいぜんじ)に祀られていたが、大善寺の伏見地蔵(ふしみじぞう)を除く、5体の地蔵尊が大善寺から移されることになりました。

【徳林庵の起源・始まり】

●徳林庵は1550年(天文19年)に南禅寺(なんぜんじ)260世・雲英正怡禅師(うんえいしょういぜんじ)が先祖にあたる第54代・仁明天皇の第4皇子・人康親王を弔う為に創建したと言われています。

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【戦国時代(1493年頃~1590年頃)の歴史・出来事】

●戦国時代に兵火に見舞われ、その後現在の場所に移されたとも言われています。

【江戸時代(1603年頃~1868年頃)の歴史・出来事】

●1706年(宝永3年)に四ノ宮村郷士で、四宮家当主・四宮善兵衛(しのみやぜんべい)の遺言により、山科地蔵(四ノ宮地蔵)が移されてきたとも言われています。
●1786年(天明6年)に「都名所拾遺」によると徳林庵と地蔵堂が隣接して描かれています。
●江戸時代に毎年旧暦の2月16日に四宮川の河原に検校が集まり、人見親王を弔う為に誦経・琵琶演奏が行われていたと言われています。

【徳林庵ゆかりの人康親王】

人康親王は831年(天長8年)に第54代・仁明天皇と藤原総継の娘・藤原沢子の間にの第4皇子として生まれました。845年(承和12年)に元服し、848年(嘉祥元年)に四品に叙せられ、849年(嘉祥2年)に上総太守に任ぜられ、その後弾正尹・常陸太守などを歴任しました。859年(貞観元年)に高熱によて両目を失明し、宮中を追われて山科御所に隠棲し、その後出家して法性と号しました。山科御所は滝を落としたり、水を流したりと趣深かったそうです。864年(貞観6年)に朝廷から借用していた銭3,300貫文などが勅によって免除されました。人康親王は琵琶の名手で、盲人を集めて琵琶・管絃・詩歌を教えたと言われています。なお人康親王は872年(貞観14年)に亡くなりました。

【徳林庵の歴史 備考】
*参考・・・徳林庵(アクセス・歴史・・・)wiki

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