東福寺偃月橋・東福寺見どころ

東福寺偃月橋

●東福寺偃月橋は1967年(昭和42年)6月15日に国の重要文化財に指定されました。
●東福寺偃月橋は江戸時代初期の1603年(慶長8年)に再建されました。東福寺偃月橋は東福寺から塔頭(たちゅう)・龍吟庵(りょうぎんあん)と即宗院(そくしゅういん)に通じる渓谷・洗玉澗(せんぎょくかん)に架けられています。ちなみに「偃月」は半月よりやや細い月(弓張り月)のことを言います。なお東福寺偃月橋は臥雲橋(がうんきょう)・通天橋(つうてんきょう)とともに東福寺三名橋と言われ、日本百名橋にも数えられています。ちなみに東福寺三名橋は洗玉澗の上流から偃月橋・通天橋・臥雲橋の順に架けられています。
龍吟庵(竜吟庵)は鎌倉時代後期の1291年(正応4年)に東福寺3世住持である大明国師(だいみょうこくし)・無関普門(むかんふもん)が建てた住房跡です。無関普門は1251年(建長3年)に宋(中国)に渡り、1262年(弘長2年)に帰国し、1262年(弘安4年)に関白・一条実経(いちじょうさねつね)の招きによって東福寺第3世住持になり、1291年(正応4年)12月に亡くなりました。龍吟庵は東福寺の塔頭の中で、第1位に置かれています。
即宗院は鎌倉時代前期に関白・藤原兼実(ふじわらのかねざね)が営んだ山荘・月輪殿(つきのわどの)があった場所です。即宗院は1387年(嘉慶元年)に島津氏6代当主で、九州薩摩藩・島津氏久(しまづうじひさ)が東福寺第54世・剛中玄柔禅師(ごうちゅうげんじゅうぜんじ)を開山として創建し、薩摩藩の菩提寺にしたのが起源です。即宗院の名称は氏久の法名「齢岳玄久即宗院」に由来しています。その後1569年(永禄12年)の火災によって焼失し、1613年(慶長18年)頃に島津氏第16代当主・島津義久(しまづよしひさ)が現在の場所に移して再建しました。
●東福寺偃月橋は桁行十一間・梁間一間で、切妻造(きりづまづくり)の桟瓦葺(さんがわらぶき)です。東福寺偃月橋は橋長約21メートル・幅員約2.2メートルです。
切妻造は屋根の最頂部の棟(むね)から両側に葺き下ろし、その両端を棟と直角に切った屋根の形式です。切妻造は本を開いて伏せたような形で、平行な面を平(ひら)、棟と直角な面を妻(つま)と言います。切妻造は古くは真屋(まや)とも言われ、伊勢神宮(いせじんぐう)・出雲大社(いづもたいしゃ)などの社殿に採用されています。ちなみに四方向に傾斜する屋根面を持つ寄棟造(よせむねづくり)よりも格式が上とも言われています。なお切妻造は世界各地で見られる屋根の形式です。
桟瓦葺は平瓦と丸瓦を一体化させた波型の桟瓦を使用して屋根を葺く方法です。ちなみに本瓦葺は平瓦と丸瓦を交互に組み合わせて屋根を葺く方法です。瓦葺は飛鳥時代に中国・朝鮮半島から寺院建築の技術とともに伝来しました。瓦葺は檜皮葺(ひわだぶき)・茅葺(かやぶき)・板葺(いたぶき)などに比べ耐水性・耐火性に優れ、台風の多い日本に適していました。
東福寺見どころ

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