東福寺月下門・東福寺見どころ

東福寺月下門

●東福寺月下門は1902年(明治35年)7月31日に国の重要文化財に指定されました。
●東福寺月下門は室町時代前期(1333年~1392年)に建立されたとも言われています。東福寺月下門はかつて御所・月華門として建てられ、1268年(文永5年)に一条実経(いちじょうさねつね)が常楽庵を建立した際に第90代・亀山天皇から賜って移したとも言われています。
第90代・亀山天皇は鎌倉時代の1249年(建長元年)7月9日に第88代・後嵯峨天皇と中宮・西園寺きつ子(さいおんじきつし)の皇子として生まれました。第90代・亀山天皇は父母から寵愛されたことから第90代・亀山天皇系の大覚寺統(だいかくじとう)と兄である第89代・後深草天皇系の持明院統(じみょういんとう)との対立の端緒になったと言われています。1258年(正嘉2年)10歳で立太子され、翌1259年(正元元年)に兄で、第89代・後深草天皇が17歳で譲位し、第90代・亀山天皇に即位しました。即位には父母の意向があったとされています。1274年(文永11年)に第2皇子で、皇太子・世仁親王(第91代・後宇多天皇)に譲位して院政を開始しました。院政期間中には元寇(げんこう)と言われる1274年(文永11年)の文永の役(ぶんえいのえき)・1281年(弘安4年)弘安の役(こうあんのえき)が起こりました。1289年(正応2年)9月に南禅寺(なんぜんじ)で出家して法皇になりました。第90代・亀山天皇は禅宗・律宗を手厚く保護し、五山別格とされ臨済宗寺格第一である南禅寺の開基になりました。なお第90代・亀山天皇は1305年(嘉元3年)10月4日に崩御しました。
一条実経は鎌倉時代前期の1223年(貞応2年)に関白で、九条家3代当主・九条道家(くじょうみちいえ)と西園寺りん子(さいおんじりんし)の四男として生まれました。1229年(寛喜4年)に元服して正五位下に叙せられ、1233年(天福元年)に従三位に昇叙しました。父・九条道家に寵愛され、1242年(仁治3年)に一条室町の第を譲られました。1246年(寛元4年)に第89代・後深草天皇の摂政になり、また父・九条道家の意向により、朝廷・院と幕府の連絡・意見調整を行った関東申次(かんとうもうしつぎ)の職務の一部を代行しました。しかし翌年兄で、鎌倉幕府第4代将軍・藤原頼経(ふじわらのよりつね)が反執権(北条氏)勢力に利用され、鎌倉幕府第5代執権・北条時頼(ほうじょうときより)によって京都に追放された宮騒動に連座して摂政を罷免されたが、1265年(文永2年)に関白に再任されました。ただ2年後に関白を辞任し、その後山城国山崎の円明寺(えんみょうじ)に隠棲しました。一条実経は一条家の祖です。なお一条実経は1284年(弘安7年)8月30日に亡くなりました。
●東福寺月下門は四脚門で、切妻造(きりづまづくり)の檜皮葺(ひわだぶき)です。
切妻造は屋根の最頂部の棟(むね)から両側に葺き下ろし、その両端を棟と直角に切った屋根の形式です。切妻造は本を開いて伏せたような形で、平行な面を平(ひら)、棟と直角な面を妻(つま)と言います。切妻造は古くは真屋(まや)とも言われ、伊勢神宮(いせじんぐう)・出雲大社(いづもたいしゃ)などの社殿に採用されています。ちなみに四方向に傾斜する屋根面を持つ寄棟造(よせむねづくり)よりも格式が上とも言われています。なお切妻造は世界各地で見られる屋根の形式です。
檜皮葺は屋根葺手法の一形式です。檜皮葺では檜(ひのき)の樹皮を用いて屋根を葺きます。檜皮葺は日本以外では見られない日本古来の手法です。檜皮葺は飛鳥時代の668年(天智天皇7年)に滋賀県大津市の廃寺・崇福寺(すうふくじ)の諸堂が檜皮で葺かれた記録が最古の記録です。
東福寺見どころ

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