東福寺常楽庵・東福寺見どころ

東福寺常楽庵

●東福寺常楽庵は1997年(平成9年)12月3日に国の重要文化財に指定されました。
●東福寺常楽庵は江戸時代後期の1819年(文政2年)に焼失し、1823年(文政6年)から関白で、一条家20代当主・一条忠良(いちじょうただよ)が再建したと言われています。
一条忠良は江戸時代中期の1774年(安永3年)5月2日に関白で、一条家19代当主・一条輝良(いちじょうてるよし)の子として生まれました。ちなみに一条忠良は第122代・明治天皇の皇后・昭憲皇太后(しょうけんこうたいごう・一条美子(いちじょうはるこ))の祖父にあたります。一条忠良は肥後国熊本藩8代藩主・細川斉茲(ほそかわなりしげ)の娘・細川冨子を正室として、四男として生まれた一条忠香(いちじょうただか)が昭憲皇太后の父になります。1783年(天明3年)に従三位になり、1799年(寛政11年)に従一位になりました。また1792年(寛政4年)に内大臣になり、1796年(寛政8年)に右大臣になり、1814年(文化11年)に関白になり、1823年(文政6年)に関白を辞したが、1828年(文政11年)に准三后(じゅさんごう)になりました。一条忠良は和歌に優れ、茶の湯に用いる茶陶(ちゃとう)の制作なども行いました。一条忠良は「忠良公記」を残しています。なお一条忠良は1837年(安永3年)7月5日に亡くなりました。
●東福寺常楽庵には開山堂昭堂・客殿(普門院)・塔司寮(書院)・庫裏・楼門・鐘楼・裏門があります。
開山堂昭堂は1823年(文政6年)に再建されました。開山堂は桁行正面一間・背面二間・梁間三間で、宝形造の桟瓦葺です。開山堂には東福寺開山である聖一国師(しょういちこくし)・円爾(えんに)像が安置されています。昭堂は桁行八間・梁間三間で、切妻造です。昭堂は一部二階建てで、二階が伝衣閣(でんねかく)と言われています。昭堂は東面が仏壇になっています。なお昭堂の伝衣閣は金閣(鹿苑寺(ろくおんじ))・銀閣(慈照寺(じしょうじ))・飛雲閣(西本願寺(にしほんがんじ))・呑湖閣(大徳寺(だいとくじ)の塔頭・芳春院(ほうしゅんいん))とともに京の五閣とも言われています。
客殿(普門院)は1826年(文政9年)に再建されました。客殿(普門院)は桁行約20メートル・梁間約17.4メートルで、入母屋造の桟瓦葺です。客殿(普門院)は鎌倉時代に創建され、かつて京都十刹(じっさつ)に数えられていた普門寺にゆかりがあると言われています。
塔司寮(書院)は1823年(文政6年)に再建されました。塔司寮(書院)は桁行約16メートル・梁間約12メートルで、入母屋造の桟瓦葺です。
庫裏は1823年(文政6年)に再建されました。庫裏は桁行約11.9メートル・梁間約13.7メートルで、切妻造の桟瓦葺です。庫裏は客殿(普門院)とともに普門寺にゆかりがあると言われています。
楼門は1826年(文政9年)頃に再建されました。楼門は三間一戸の楼門で、入母屋造の桟瓦葺です。
鐘楼は1826年(文政9年)頃に再建されました。鐘楼は桁行一間・梁間一間で、切妻造の桟瓦葺です。鐘楼の梵鐘は毎夜11:45頃から18回撞かれ、深夜の送り鐘と言われています。深夜の送り鐘は東福寺開山である聖一国師・円爾以来、750年も続いているそうです。聖一国師・円爾は建仁寺(けんにんじ)の住持(じゅうじ)も兼任し、東福寺の勤行が済むと送り鐘で送り、建仁寺では迎え鐘で迎えたと言われています。
裏門は焼失を免れ、1823年(文政6年)以前に建立されていたとも言われています。裏門は一間の高麗門(こうらいもん)で、本瓦葺です。
東福寺見どころ

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