東福寺禅堂・東福寺見どころ

●東福寺禅堂は1898年(明治31年)12月28日に国の重要文化財に指定されました。
●東福寺禅堂は南北朝時代の1347年(貞和3年)に再建されました。禅堂は日本最古の禅堂と言われています。東福寺禅堂にはかつて東福寺開山である聖一国師(しょういちこくし)・円爾(えんに)の師で、南宋(中国)の禅僧・無準師範(ぶじゅんしばん)の扁額「選仏場」が掲げられ、選仏堂(せんぶつじょう)とも言われています。なお東福寺禅堂は南北約42メートル(桁行七間)・東西約22メートル(梁間四間)で、日本最大の禅堂とも言われています。東福寺禅堂ではかつて400人以上の僧が修業したとも言われました。
一般的に禅堂は禅・坐禅を修行する為の堂塔です。禅堂は禅宗寺院の僧堂(そうどう)のことです。僧堂は修業中の僧侶が集団生活を行いながら仏道修行に励む場所です。禅堂は聖僧堂(しょうそうどう)・坐禅堂(ざぜんどう)・坐堂(ざどう)などとも言われています。なお禅堂は禅宗寺院で本尊を安置する仏殿(金堂)・仏国土に至る三門(山門)・僧侶の居住する庫裏(くり)・僧侶が仏教を講義する法堂(はっとう)・浴室・トイレである東司(とうす)とともに七堂伽藍に数えられています。
無準師範は1177年(淳熙4年)に南宋(中国)・剣閣(けんかく)で生まれました。9歳で出家し、その後育王寺(いくおうじ)の仏照徳光(ぶっしょうとっこう)に参じ、霊隠寺(りんにんじ)の破菴祖先(はあんそせん)に師事しました。その後清凉寺(せいりょうじ)・焦山(しょうざん)・雪竇山(せっちょうざん)・育王山などに歴住し、南宋五山第一の径山寺(きんざんじ)第34世になりました。弟子に兀庵普寧(ごったんふねい) ・雪巌祖欽(せつがんそきん)・無学祖元(むがくそげん)や日本から入宋(にっそう)した聖一国師(しょういちこくし)・円爾(えんに)などがいます。無準師範は書法に長じ、絵画に優れ、多くの墨跡の名品が南宋(中国)から日本に伝わっています。径山寺の寺塔が火事になり、聖一国師・円爾が再建の為に博多から板1,000枚を送り、その謝礼の尺牘・「与円爾尺牘(えんににあたうせきとく)」が国宝に指定されています。
●東福寺禅堂は一重裳階(もこし)で、切妻造の本瓦葺です。
切妻造は屋根の最頂部の棟(むね)から両側に葺き下ろし、その両端を棟と直角に切った屋根の形式です。切妻造は本を開いて伏せたような形で、平行な面を平(ひら)、棟と直角な面を妻(つま)と言います。切妻造は古くは真屋(まや)とも言われ、伊勢神宮(いせじんぐう)・出雲大社(いづもたいしゃ)などの社殿に採用されています。ちなみに四方向に傾斜する屋根面を持つ寄棟造(よせむねづくり)よりも格式が上とも言われています。なお切妻造は世界各地で見られる屋根の形式です。
裳階は仏堂などの本来の屋根の下に付けた差し掛けの屋根です。屋根が二重になるので2階建てと間違われたりします。いずれも奈良県の東大寺の大仏殿や法隆寺(ほうりゅうじ)金堂と五重塔・薬師寺(やくしじ)の東塔が代表例です。白鳳時代(はくほうじだい)に建立された法隆寺の金堂と五重塔が日本最古の例です。なお裳階は雨打 (ゆた) ・雪打 (ゆた) とも言われています。
東福寺見どころ

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