東北院(拝観料・見どころ・アクセス・歴史概要・・・)
東北院
東北院(アクセス・見どころ・歴史概要・料金・・・)情報を紹介しています。東北院の本尊・弁財天は伝教大師(でんぎょうだいし)・最澄作と言われています。782年(延暦元年)桓武天皇の鎮護国家の守護神についての問いに最澄が大弁財天と答えたことから勅によってを彫られ、禁裏の北東に祀ったと言われています。
【東北院 アクセス・マップ】
場所・・・京都府京都市左京区吉田神楽岡町
最寄り駅・バス停・・・錦林車庫前(徒歩約8分)、真如堂前(徒歩約10分)
アクセス路線は次の通りです。(最終更新2014年末・変更の場合あり)
*京都駅からは5系統(A1乗り場)、17系統(A2乗り場)、100系統(D1乗り場)
*四条河原町からは5系統、17系統、32系統、203系統
*四条烏丸からは5系統、203系統
*河原町丸太町からは204系統
路線・時刻表・運賃チェック
【東北院 拝観時間・時間(要確認)】
不明
【東北院 拝観料金・料金(要確認)】
不明
【東北院 歴史・簡単概要】
東北院(とうほくいん)は平安時代(794年~1185年)中期の1030年(長元3年)に太政大臣・藤原道長(ふじわらのみちなが)の長女で、第66代・一条天皇(いちじょうてんのう)の中宮・上東門院(じょうとうもんいん・藤原彰子(ふじわらのしょうし))の発願により、父・藤原道長が創建した法成寺(ほうじょうじ)内に常行三昧堂(じょうぎょうざんまいどう)が建立されたのが起源です。東北院の寺号は常行三昧堂が法成寺の東北に位置することと上東門院の母・源倫子(みなもとのりんし)が建立した常行三昧堂が法成寺の西北に位置し、西北院と言われたことに由来しています。その後上東門院(藤原彰子)は東北院を在所と定めて居住しました。1058年(天喜6年)に法成寺の火災で焼失し、1061年(康平4年)に法成寺の北側に移って再建されました。平安時代中期に中古三十六歌仙・和泉式部(いずみしきぶ)が軒端の梅(のきはのうめ)を植えました。1171年(承安元年)に火災で護摩堂・不断経所などを除き、伽藍の多くが焼失しました。1174年(承安4年)から始まった念仏会が風物詩になり、「東北院職人歌合絵巻(重要文化財)」に描かれました。室町時代(1336年~1573年)に七福神(しちふくじん)信仰の高まり、平安時代前期頃に天台宗(てんだいしゅう)の宗祖である伝教大師(でんぎょうだいし)・最澄(さいちょう)が刻んだと言われる2尺3寸の弁財天(べんざいてん)像が信仰を集めました。1467年(応仁元年)に応仁の乱(おうにんのらん)で多くの伽藍が焼失し、廃寺同然になったと言われています。戦国時代(1493年~1590年)の1559年(永禄2年)に時宗(じしゅう)の僧・弥阿が残された弁財天を本尊として再建し、時宗に改めました。1570年(元亀元年)に兵火で焼失したが、その後第106代・正親町天皇(おおぎまちてんのう)の勅命によって再建されました。江戸時代(1603年~1868年)中期の1692年(元禄5年)に火災で焼失し、翌1693年(元禄6年)に真如堂(しんにょどう・真正極楽寺(しんしょうごくらくじ))などとともに現在の場所に移りました。1770年(明和7年)に安津宮御所の建物を賜って移築したと言われています。なお東北院は弁財天を本尊として安置しています。
東北院は時宗の寺院です。
*参考・・・東北院(アクセス・マップ・歴史・見どころ・・・)wikipedia
【東北院 見どころ・文化財(非公開の場合あり)】
東北院の見どころは本尊・弁財天です。弁財天は伝教大師(でんぎょうだいし)・最澄作とも言われています。ちなみに境内には弁財天守護の水とされ、悪鬼邪魅の災いを祓うという雲水があります。なお東北院は梅の名所で見どころです。
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【東北院 連絡先(現在確認中)】*電話は控えて下さい。迷惑になります。
電話番号・・・不明
【東北院 備考(アクセス・御朱印・駐車場・・・)】
【東北院 おすすめ散策ルート】
東北院からのおすすめ散策ルートは東にある哲学の道を北に向かって、銀閣寺(東山慈照寺)に向かうルートです。20分ほど散策すれば、東山の自然を感じながら世界遺産である銀閣寺に行くことができ、京都観光・旅行を楽しむことができます。なお銀閣寺とは逆に哲学の道を南に向かうと永観堂(禅林寺)・南禅寺があり、それらを散策するのもいいかもしれません。