東寺五重塔・東寺見どころ(修学旅行)

東寺五重塔

●東寺五重塔は1897年(明治30年)12月28日に国の重要文化財、1952年(昭和27年)11月22日に国宝に指定されました。
●東寺五重塔は平安時代前期の826年(天長3年)から建立が始まり、元慶年間(877年~885年)に完成しました。その後平安時代前期の886年(仁和2年)・平安時代後期の1055年(天喜3年)・鎌倉時代の1270年(文永7年)・戦国時代(室町時代後期)の1563年(永禄6年)に落雷・不審火によって4度焼失し、1644年(寛永21年)に江戸幕府3代将軍・徳川家光(とくがわいえみつ)の寄進によって再建されました。
徳川家光は江戸時代初期の1604年(慶長9年)8月12日に江戸幕府2代将軍・徳川秀忠(とくがわひでただ)と浅井長政(あざいながまさ)の娘・江(ごう・崇源院(すうげんいん))の次男として江戸城西の丸に生まれました。徳川家光の幼名は江戸幕府初代将軍・徳川家康(とくがわいえやす)と同じ竹千代、乳母は春日局(かすがのつぼね)です。徳川家光は病弱で、吃音(きつおん)があり、1606年(慶長11年)に徳川秀忠と江に寵愛される弟・徳川忠長(とくがわただなが)が生まれると世継ぎ争いが起こり、元和年間(1615年~1624年)に春日局による徳川家康への直訴によって徳川家光が世継ぎに決着しました。1620年(元和6年)に元服し、名前を徳川家光に改め、従三位権大納言に任命されました。1623年(元和9年)7月27日に徳川秀忠とともに上洛して伏見城で将軍宣下を受け、江戸幕府3代将軍になり、正二位内大臣に任命されました。徳川家光は武家諸法度(ぶけしょはっと)・参勤交代制(さんきんこうたいせい)などの諸制度を整備したり、キリシタン禁制や貿易統制の為に鎖国を行ったりし、江戸幕府の基礎を確立しました。なお徳川家光は多くの神社仏閣に寄進したり、再建などに尽力したりしています。
●東寺五重塔は三間五重塔婆です。東寺五重塔は高さ約54.8メートルで、国内で最も高い木造塔(建築物)です。
一般的に五重塔は仏教の祖・お釈迦さまの遺骨(仏舎利(ぶしゃり))を納める仏塔です。仏塔は紀元前3世紀頃から造られるようになったお釈迦さまの遺骨(仏舎利)を祀る饅頭形(半球形)のストゥーパが起源とも言われています。ストゥーパはインド(天竺(てんじく))から中国に伝えられると高層の楼閣建築形式になり、朝鮮半島から日本に伝わったと言われています。現在、7世紀後半の飛鳥時代に建立された法隆寺(ほうりゅうじ)の五重塔が日本最古の五重塔です。なお五重塔は外観が基壇・塔身・相輪(そうりん)からなり、五重の屋根が下から地(基礎)・水(塔身)・火(笠)・風(請花(うけばな))・空(宝珠(ほうじゅ))を表し、それぞれが5つの世界(五大思想)を示し、仏教的な宇宙観を表しています。
一般的に日本の仏塔の形式は三重塔・五重塔です。ただ七重塔・九重塔・十三重塔などもあり、層の数はほぼ奇数に限定されています。
東寺見どころ

ページ上部へ戻る