等持院(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)紅葉名所

等持院

等持院

等持院(アクセス・見どころ・歴史概要・料金・・・)情報を紹介しています。等持院は足利氏の菩提寺で、足利尊氏の墓所です。等持院霊光殿には一部を除き、足利氏の歴代将軍木像が安置されています。なお等持院には「飢餓海峡」などの小説で知られる直木賞作家・水上勉は一時寄宿していたそうです。

【等持院 アクセス・マップ】
場所・・・京都府京都市北区等持院北町63
最寄り駅・バス停・・・等持院南町(徒歩約7分)、等持院道(徒歩約7分)

アクセス路線は次の通りです。(最終更新2014年末・変更の場合あり)
*京都駅から等持院は26系統(D3乗り場)南
*四条烏丸からは26系統南
*四条河原町からは10系統南
*河原町丸太町からは10系統南
路線・時刻表・運賃チェック

*嵐電(京福電鉄)北野線の場合、最寄り駅は等持院・立命館大学衣笠キャンパス前駅(徒歩約7分)

【等持院 拝観時間・時間(要確認)】
9:00~17:00

【等持院 拝観料金・料金(要確認)】
大人・大学生・高校生500円、小・中学生300円

スポンサーリンク(Sponsor Link)

【等持院 歴史・簡単概要】
等持院(とうじいん)は1341年(興国2年・暦応4年)に室町幕府初代将軍・足利尊氏(あしかがたかうじ)が中京区柳馬場御池付近に創建した等持寺(とうじじ)の別院として、夢窓国師(むそうこくし)・夢窓疎石(むそうそせき)を開山に北区等持院北町に北等持寺として創建されたのが起源とも言われています。その後1358年(延文3年)に尊氏が亡くなると別院・北等持寺が尊氏の墓所になり、尊氏の法名・等持院殿仁山妙義大居士長寿寺殿から等持院に名称が改められました。応仁の乱(1467年(応仁元年)~1477年(文明9年))の兵火によって本坊・等持寺が焼失し、別院・等持院が本坊・等持寺を合寺しました。その後江戸時代初期に豊臣秀頼が父で、関白・豊臣秀吉の遺命によって再建したが、その後度々焼失し、1818年(文政元年)に福島正則が1616年(元和2年)に建立した妙心寺(みょうしんじ)の塔頭・海福院(かいふくいん)の建物が移されて方丈となりました。なお等持院は本尊・釈迦牟尼仏を安置しています。また5代将軍・14代将軍を除き、初代将軍・尊氏から15代将軍・義昭までの歴代室町幕府の将軍木像を霊光殿に安置しています。
等持院は臨済宗天龍寺派の寺院です。
*参考・・・等持院(アクセス・マップ・歴史・見どころ・・・)ホームページ

【等持院 見どころ・文化財(非公開の場合あり)】
等持院の見どころは夢窓疎石作と伝えられている庭園です。庭園は東西に分かれ、西の庭は芙容池と称し、衣笠山(きぬがさやま)を借景にした池泉回遊式庭園です。なお等持院は紅葉の名所で見どころです。

重要文化財・・・紙本淡彩等持寺絵図

【等持院 花暦(梅・桜・紅葉・・・)】
●椿見ごろは例年1月下旬頃から3月中旬頃です。豊臣秀頼が等持院を再建した際に植えられたとも言われる有楽椿が植えられています。有楽椿は織田信長の実弟・織田有楽斎が豊臣秀頼の指示で植えたとも言われています。
等持院椿見ごろ
●桜見ごろは例年4月上旬頃から4月中旬頃です。池泉回遊式庭園(西庭)・参道に紅枝垂桜・染井吉野などの桜の木が植えられ、桜と参道・庭園・牧野省三像などの光景が美しいと言われています。
等持院桜見ごろ
●紅葉見ごろは例年11月中旬頃から11月下旬頃です。庭園などの山内に50本ほどのモミジなどが植えられ、紅葉と芙蓉池を中心とした池泉回遊式庭園(西庭)・心字池を中心とした池泉回遊式庭園(東庭)などの光景が美しいと言われています。
等持院紅葉見ごろ

【等持院 連絡先(現在確認中)】*電話は控えて下さい。迷惑になります。
電話番号・・・+81-75-461-5786

【等持院 備考(アクセス・御朱印・駐車場・・・)】
*京都バスの場合、四条河原町・三条京阪からは61系統、62系統、63系統、65系統、最寄りのバス停は等持院南(徒歩約7分)
京都バス・アクセスダイヤ

【等持院 おすすめ散策ルート】
等持院からのおすすめ散策ルートは「きぬかけの道」沿い、いずれも世界遺産である龍安寺・仁和寺に向かうルートです。1時間ほど散策すれば、2か所の世界遺産を回ることができ、京都観光・旅行を楽しむことができます。紅葉の時期がいいかもしれません。なお龍安寺・仁和寺とは逆方向になるが、これまた世界遺産である金閣寺(鹿苑寺)まで散策してもいいかもしれません。

関連記事

京都観光おすすめ

  1. 錦市場(Nishiki Market)
  2. 竹林の道(Bamboo Forest Path)
  3. 嵐山
ページ上部へ戻る