東寺石上神社・東寺見どころ(修学旅行)

東寺石上神社

●東寺石上神社は正式には石上布留社(いそのかみじんじゃ)と言います。石上神社は真言宗の宗祖である弘法大師・空海の母方の実家・阿刀(あと)氏の邸跡と言われています。阿刀氏は真言宗の政所(なんどころ)で、東寺の執行家でありました。阿刀氏は平安時代前期の823年(弘仁14年)から1871年(明治4年)まで千年以上真言宗の政所・東寺の執行家を世襲し、石上神社は阿刀氏の斎壇と言われています。石上神社は本殿に石上布留御魂(いそのかみふるのみたま)、相殿に阿刀大神(あとおおかみ)を祀っています。小祠に三輪・伊勢・賀茂・石清水・二天夜刃(やしゃじん)・役氏小角(ぎょうじゃ)・稲荷・弄鈴(なるこ)・王仁(わに)・空海大神を祀っています。また境内に祀られている波切不動明王は弘法大師・空海の地盤(じば)である不動明王とされ、四国路・東寺・高野山などに参っても波切不動明王に参らなければ、ご利益が頂けないとも言われています。
阿刀氏は弘法大師・空海の母方の実家で、弘法大師・空海の父・佐伯直田公(さえきのあたいたぎみ)の実弟・阿刀大足(あとのおおたり)が阿刀氏に婿入りすると真言宗の政所になりました。(諸説あり)ちなみに阿刀氏は物部(もののべ)氏と同祖伝承を有する古代氏族です。阿刀氏は初め「阿刀連(むらじ)」だったが、飛鳥時代後期の684年(天武天皇13年)に八色の姓(やくさのかばね)が制定されると「阿刀宿禰(すくね)」を賜り、史書に官人として活躍したことが記されています。なお阿刀大足は奈良時代から平安時代初期の貴族・学者です。第50代・桓武天皇の第3皇子・伊予親王(いよしんのう)の侍講を務め、中国語・漢学に通じていたとも言われています。ただ807年(大同2年)の伊予親王の変に連座して失脚したとも言われています。弘法大師・空海が788年(延暦7年)に奈良・平城京に上京し、792年(延暦11年)に大学寮に入るまで論語・孝経・史伝・文章などを教えたと言われています。また弘法大師・空海が804年(延暦23年)に第18次遣唐使の学問僧になることも援助したと言われています。
弘法大師・空海は奈良時代の774年(宝亀5年)に讃岐国多度郡屏風浦(香川県善通寺市)で父・佐伯直田公(さえきのあたいたぎみ)と母・阿刀大足(あとのおおたり)の妹の間に生まれました。789年(延暦8年)に15歳で母方の叔父・阿刀大足(あとのおおたり)のもとで論語・孝経・史伝などを学び、792年(延暦11年)に18歳で官僚育成機関である大学寮(だいがくりょう)に入って官吏としての学問を修めました。その後仏道を志して山林で修行し、三論宗(さんろんしゅう)の僧で、東大寺(とうだいじ)別当・勤操(ごんそう)のもとで南都仏教を学びました。804年(延暦23年)に遣唐使(けんとうし)として唐(中国)に渡り、長安で青竜寺(せいりゅうじ)の恵果(えか)のもとで密教を学び、伝法阿闍梨位(でんぽうあじゃりい)の灌頂(かんじょう)を受け、遍照金剛(へんじょうこんごう)の灌頂名を与えられました。806年(大同元年)に帰国し、真言密教を日本に伝えて真言宗の開祖になりました。816年(弘仁7年)から高野山で金剛峯寺(こんごうぶじ)創建に着手し、823年(弘仁14年)に東寺を賜って真言密教の道場にしました。なお弘法大師・空海は835年(承和2年)3月21日に高野山で亡くなりました。
東寺見どころ

ページ上部へ戻る