東寺鎮守八幡宮・東寺見どころ

東寺鎮守八幡宮

●東寺鎮守八幡宮は1868年(明治元年)に焼失し、1992年(平成4年)に再建されました。東寺鎮守八幡宮は東寺が創建された際に王城鎮護を願って祀られたと言われています。平安時代初期の810年(大同5年)に第52代・嵯峨天皇と平城上皇(第51代・平城天皇)が対立した薬子の変(くすこのへん)の際、真言宗(しんごんしゅう)の宗祖である弘法大師(こうぼうだいし)・空海(くうかい)が第52代・嵯峨天皇の勝利を祈願し、鎮めたことから戦勝祈願の社とも言われています。なお東寺鎮守八幡宮は弘法大師・空海が自ら刻んだ僧の姿をした僧形八幡神(そうぎょうはちまんしん)と二尊の女神(じょしん)が祀られています。また武内宿禰(たけのうちのすくね)と言われる男神像も付属しています。
弘法大師・空海は奈良時代の774年(宝亀5年)に讃岐国多度郡屏風浦(香川県善通寺市)で父・佐伯直田公(さえきのあたいたぎみ)と母・阿刀大足(あとのおおたり)の妹の間に生まれました。ただ正確な誕生日は明確ではありません。真言宗(しんごんしゅう)では空海が唐の高僧で、三蔵法師(さんぞうほうし)の一人である不空三蔵(不空金剛・ふくうこんごう)の生まれ変わりと考えられていることから誕生日は不空三蔵の入滅の日である6月15日とされています。789年(延暦8年)に15歳で母方の叔父・阿刀大足(あとのおおたり)のもとで論語・孝経・史伝などを学び、792年(延暦11年)に18歳で官僚育成機関である大学寮(だいがくりょう)に入って官吏としての学問を修めました。その後仏道を志して山林で修行し、三論宗(さんろんしゅう)の僧で、東大寺(とうだいじ)別当・勤操(ごんそう)のもとで南都仏教を学びました。804年(延暦23年)に遣唐使として唐(中国)に渡り、長安で青竜寺(せいりゅうじ)の恵果(えか)のもとで密教を学び、伝法阿闍梨位(でんぽうあじゃりい)の灌頂(かんじょう)を受け、遍照金剛(へんじょうこんごう)の灌頂名を与えられました。806年(大同元年)に帰国し、真言密教を日本に伝えて真言宗の開祖になりました。816年(弘仁7年)から高野山で金剛峯寺(こんごうぶじ)創建に着手し、823年(弘仁14年)に東寺を賜って真言密教の道場にしました。なお弘法大師・空海は835年(承和2年)3月21日に高野山で亡くなりました。
八幡神は誉田別命(ほんだわけのみこと)とも言われ、第15代・応神天皇と同一とされています。奈良時代以降の神仏習合(しんぶつしゅうごう)により、八幡大菩薩(はちまんだいぼさつ)とも言われました。八幡神は清和源氏・桓武平氏(かんむへいし)などの武家から武運の神(武神)として崇敬されました。また八幡神は第15代・応神天皇と同一とされ、皇祖神としても位置付けられました。八幡神は571年(欽明天皇32年)に初めて大分・宇佐の地に示顕したとされ、大分県宇佐市に宇佐神宮(宇佐八幡宮)が建立され、八幡神社の総本社になっています。
第15代・応神天皇は第14代・仲哀天皇と神功皇后(じんぐうこうごう)の第4皇子・誉田別尊(ほんだわけのみこと)として生まれました。200年(仲哀天皇9年)の三韓征伐(さんかんせいばつ)の帰途に神功皇后が生んだとされています。胎中天皇(はらのうちにましますすめらみこと)とされ、異母兄達(香坂皇子(かごさかのみこ)・忍熊皇子(おしくまのみこ))が叛乱を起こしたが、神功皇后が鎮圧して排除しました。203年(神功皇后摂政3年)に立太子し、270年(応神天皇元年)に天皇に即位しました。在位中に大和朝廷の勢力が飛躍的に発展し、巨大な陵墓が天皇の権力の強大さを示していると言われています。また在位中に朝鮮半島から阿直岐 (あちき) ・弓月君 (ゆづきのきみ) ・王仁 (わに) ・阿知使主 (あちのおみ) らが渡来し、養蚕・織物・灌漑・治水技術などをもたらしました。第15代・応神天皇は310年(応神天皇41年)に111歳で崩御したとも言われています。
●東寺鎮守八幡宮は入母屋造(いりもやづくり)の銅板葺(どうばんぶき)です。
入母屋造は切妻造と寄棟造を組み合わせた屋根の形式です。寄棟造の屋根の上に切妻造の屋根を載せた形で、切妻造の四方に庇(ひさし)がついています。京都御所の紫宸殿(ししんでん)のように切妻と寄棟の角度が一続きでないものは錣屋根(しころやね)とも言われています。日本では古くから切妻造は寄棟造よりも格式が上とも言われ、それらの組み合わせた入母屋造は最も格式が高いとも言われています。入母屋造は法隆寺(ほうりゅうじ)の金堂・唐招提寺(とうしょうだいじ)の講堂に採用されています。
銅板葺は銅を薄くした銅板で屋根を葺く方法です。銅板葺は近世に本格的に始まり、神社・霊廟などに多く用いられています。銅板葺は瓦葺に比べると自重が軽くて耐震性があり、檜皮葺・こけら葺に比べると耐久性があるとい言われています。なお765年(天平宝字9年・天平神護元年)に奈良・西大寺(さいだいじ)で銅板葺が用いられたのが最古の記録とも言われています。
東寺見どころ

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