東寺観智院客殿・東寺見どころ(修学旅行)

東寺観智院客殿

●東寺観智院客殿は1914年(大正3年)4月17日に国の重要文化財、1959年(昭和34年6月27日に国宝に指定されました。
●東寺観智院客殿は長さ約105センチの木製の客殿棟札(国宝)によると江戸時代前期の1605年(慶長10年)に観智院第10世・亮盛(りょうせい)が前年に亡くなった弟子の冥福を祈って再建したと言われています。2014年(平成26年)から屋根の修復が開始され、2016年(平成28年)に89年振りに銅板葺からこけら葺(一部檜皮葺)に修復されました。観智院客殿には上段の間・次の間・羅城の間・暗(あん)の間・使者の間があり、上段の間には宮本武蔵(みやもとむさし)筆の「鷲の図」と「竹林の図」が飾られています。なお観智院は鎌倉時代後期の1308年(延慶元年)に後宇多法皇(第91代・後宇多天皇)が御影堂(西院)に参籠した際に僧侶の住房として計画し、南北朝時代の1359年(延文4年・正平14年)頃に杲宝(ごうほう)が創建しました。
一般的に客殿は寺院などで来客と面会したり、接待したりする為に建立された堂塔です。
賢宝は南北朝時代の1333年(正慶2年・元弘3年)に生まれました。東寺の杲宝(ごうほう)のもとで出家して密教を学び、1359年(延文4年・正平14年)に灌頂(かんじょう)を受けました。1389年(康応元年・元中6年)に法印権大僧都(ほういんごんのだいそうず)になりました。賢宝は杲宝とその師・頼宝が未完のまま残した密教哲学を研究し、生涯を掛けて完成させ、政治の醍醐寺に対し、教学の東寺とも称されました。賢宝は杲宝・頼宝とともに東寺三宝とも称されています。43年間を費やした「大日経疏演奥鈔」を完成させました。なお杲宝は1398年(応永5年)に亡くなりました。
●東寺観智院客殿は桁行約12.7メートル・梁間約13.7メートルで、入母屋造(いりもやづくり)のこけら葺(こけらぶき)です。(一部檜皮葺)観智院客殿は正面に軒唐破風(のきからはふ)付です。観智院客殿は中世の住宅様式がら近世の書院造に移り変わる様子を知ることができます。ちなみに中門は桁行一間・梁間一間で、切妻造(きりづまづくり)の総銅板葺(どうばんぶき)です。
入母屋造は切妻造と寄棟造を組み合わせた屋根の形式です。寄棟造の屋根の上に切妻造の屋根を載せた形で、切妻造の四方に庇(ひさし)がついています。京都御所の紫宸殿(ししんでん)のように切妻と寄棟の角度が一続きでないものは錣屋根(しころやね)とも言われています。日本では古くから切妻造は寄棟造よりも格式が上とも言われ、それらの組み合わせた入母屋造は最も格式が高いとも言われています。入母屋造は法隆寺(ほうりゅうじ)の金堂・唐招提寺(とうしょうだいじ)の講堂に採用されています。
こけら葺は木材の薄板を使って屋根を葺く方法です。こけら葺は板葺(いたぶき)の一種です。板葺では板厚が2~3ミリの場合にこけら葺、板厚が4~7ミリの場合に木賊葺(とくさぶき)、板厚が1~3センチの場合に栩葺(とちぶき)と言われています。板葺にはヒノキ・サワラ・スギ・エノキ・トクサ・クヌギなどが用いられます。板葺は古墳時代から屋根に用いられるようになったとも言われ、茅葺(かやぶき)に次いで古いとも言われています。飛鳥時代(593年~709年)に建立された法隆寺(ほうりゅうじ)の五重塔(国宝)の屋根にも用いられています。
唐破風は弓形のように中央部を丸みをつけ、両端が反りかえった曲線状に造形した破風です。軒唐破風は屋根本体の軒先を丸みを帯びた造形した破風です。向唐破風は屋根本体とは別に出窓のように造形した破風です。なお破風は切妻造(きりづまづくり)・入母屋造(いりもやづくり)の屋根の妻の三角形の部分です。
東寺見どころ

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