宇治神社本殿・宇治神社見どころ(修学旅行・観光)

宇治神社本殿

●宇治神社本殿は1902年(明治35年)7月31日に国の重要文化財に指定されました。
●宇治神社本殿は鎌倉時代後期(1275年~1332年)に建立されたと言われています。本殿に中央に菟道稚郎子命(うじのわきいらつこのみこと)の木造神像(重文)を安置しています。
菟道稚郎子命は生没年不詳です。菟道稚郎子命は4世紀頃に第15代・応神天皇(おうじんてんのう)と和珥氏(わにうじ)の祖・日触使主(ひふれのおみ)の娘・宮主宅媛(みやぬしやかひめ・矢河枝比売(やかわえひめ))の皇子として生まれたとも言われています。幼少の頃から書物に親しみ、日本最古の正史「日本書紀(にほんしょき)・奈良時代成立」によると百済(くだら)から日本に派遣された阿直岐(あちき)や辰孫王(しんそんおう)とともに百済から日本に渡来した王仁(わに)らに典籍(てんせき・漢籍)を学びました。菟道稚郎子命は父・応神天皇から寵愛され、その長子・大山守皇子(おおやまもりのみこ)や第16代・仁徳天皇(にんとくてんのう)となる大鷦鷯尊(おおさざきのみこと)などを差し置いて後嗣(こうし)とされ、309年(応神天皇40年)1月24日に皇太子になったとも言われています。同年1月8日に父・応神天皇は「年長の子どもと年少の子どもの内、どちらがより愛おしいか」と尋ね、大山守皇子は年長と答えると不機嫌になり、大鷦鷯尊は空気を読んで年少と答えると喜んだと言われています。父・応神天皇は大鷦鷯尊を補佐役として国事を任せ、大山守命に山川林野を任せたました。翌310年(応神天皇41年)に父・応神天皇が崩御すると大山守命は皇位を奪おうと謀ったが、察知した菟道稚郎子命と大鷦鷯尊が菟道川(うじがわ)の渡河中に大山守命の船を転覆させ、大山守命は水死したと言われています。菟道稚郎子命は儒教思想によって異母兄・大鷦鷯尊を天皇に推し、互いの譲り合いで天皇の空位が約3年(311年・312年)に及んだことから皇位を譲るべく自殺し、313年(仁徳天皇元年)に大鷦鷯尊が第16代・仁徳天皇に即位しました。
●宇治神社本殿は三間社(さんげんしゃ)流造(ながれづくり)の檜皮葺(ひわだぶき)です。
流造は神社建築の一形式です。流造は正面入口にあたる屋根の一方(前流れ)が長く延びた形式です。流造は伊勢神宮(いせじんぐう)に代表される神明造(しんめいづくり)から発展し、奈良時代末期から平安時代に成立し、全国に広がりました。流造では上賀茂神社(かみがもじんじゃ)・下鴨神社(しもがもじんじゃ)がよく知られています。流造では正面(桁行)の柱間が1間(柱2本)の場合には一間社流造、3間(柱4本)の場合には三間社流造、5間(柱6本)の場合には五間社流造になります。
檜皮葺は屋根葺手法の一形式です。檜皮葺では檜(ひのき)の樹皮を用いて屋根を葺きます。檜皮葺は日本以外では見られない日本古来の手法です。檜皮葺は飛鳥時代の668年(天智天皇7年)に滋賀県大津市の廃寺・崇福寺(すうふくじ)の諸堂が檜皮で葺かれた記録が最古の記録です。
宇治神社

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