梅|菅原道真・飛梅・梅苑などを解説|北野天満宮見所

梅苑

梅完全ガイド|菅原道真・飛梅・梅苑などを解説

梅は京都を代表する名所として有名です。梅は祭神・菅原道真がこよなく愛した為、星梅鉢紋が北野天満宮の神紋になり、御神木である紅和魂梅が本殿前に植えられています。北野天満宮では梅苑も整備されています。北野天満宮は学問の神として信仰されています。(詳細下記参照)

北野天満宮見どころ(本殿・三光門など)

【概要・概略|梅】

梅は祭神・菅原道真(すがわらのみちざね)がこよなく愛した為、星梅鉢紋(ほしうめばちもん)が北野天満宮の神紋になり、御神木である紅和魂梅(べにわこんばい)が菅原道真を祀る本殿(国宝)前に植えられています。北野天満宮では本殿前だけでなく、境内や梅苑にたくさんの梅の木が植えられています。なお北野天満宮だけでなく、菅原道真を祭神として祀る天満宮や神社でも梅の木が植えられています。
●梅は中国原産のバラ科サクラ属の落葉高木です。梅には500種以上の品種があるが、野梅系・紅梅系(緋梅系)・豊後系に大きく分類されます。梅は遣唐使が唐(中国)から日本に伝えたと言われています。お花見は奈良時代に梅、平安時代に梅から桜に少しずつ変わったそうです。
●菅原道真は845年(承和12年)に菅原是善(すがわらのこれよし)の子として生まれました。幼少の頃から和歌・漢詩に優れ、862年(貞観4年)に官僚育成機関である大学寮の文章生試験に合格し、877年(元慶元年)に文章博士になりました。893年(寛平5年)に参議に任ぜられ、太政官の最高幹部として国政を担う公卿に列し、899年(昌泰2年)に右大臣に任命されるが、901年(昌泰4年)に左大臣・藤原時平の讒言によって太宰府に左遷され、903年(延喜3年)に太宰府で亡くなりました。菅原道真の死後、京都では悪疫が続き、菅原道真の怨霊の仕業と恐れられました。その為死後20年目に朝廷は左遷を撤回して官位を復して正二位を贈り、993年(正暦4年)に正一位・右大臣・太政大臣を追贈しました。

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【菅原道真の和歌|梅】

梅をこよなく愛した菅原道真は901年(昌泰4年)に大宰府に左遷された際、自邸の紅梅殿で和歌「東風(こち)吹かば にほひおこせよ 梅の花 主なしとて 春を忘るな(拾遺和歌集)」と詠みました。和歌の意味は「春の東風が吹き始めたなら梅の木よ、芳しい匂いを漂わせる花を咲かせておくれ。主人は京にいなくとも春の訪れを忘れないで。」です。
●「拾遺和歌集(しゅういわかしゅう)」は1005(寛弘2年)~1006年(寛弘3年)頃に編纂されました。拾遺和歌集は「古今和歌集(こきんわかしゅう)」・「後撰和歌集(ごせんわかしゅう)」に次ぐ、3番目の勅撰和歌集です。
●菅原道真の自邸には紅梅殿・白梅殿などがありました。903年(延喜3年)に菅原道真が大宰府でなくなると自邸が神社に改められ、その後度々兵火に見舞われ、鎌倉時代に南北両社に分かれました。紅梅殿は北社(紅梅殿社)、白梅殿が南社(白梅殿社)になり、現在は北社が北菅大臣神社(きたかんだいじんじんじゃ)、南社が菅大臣神社(かんだいじんじんじゃ)になっています。北菅大臣神社は下京区仏光寺通新町西入北側菅大臣町190、菅大臣神社は下京区仏光寺通新町西入菅大臣町187-1にあります。

【飛梅伝説|梅】

梅をこよなく愛した菅原道真は日頃から梅だけでなく、松・桜もこよなく愛していました。桜は悲しみに暮れ、葉を落として最後には枯れたと言われています。梅と松は菅原道真の後を追ったが、松は途中で力尽き、兵庫県の須磨(すま)で根を下ろしたと言われています。梅は一晩の内に大宰府に飛来し、飛梅伝説が生まれました。なお北野天満宮の記録には、「延喜7年(907年)2月27日紅梅殿(菅原道真の自宅)ノ梅安楽寺(大宰府の墓所)へ飛而参、単紅梅也」と記され、菅原道真が大宰府で亡くなった4年後に京都から大宰府に飛梅が伝わったとされています。
●菅原道真が左遷された太宰府天満宮の本殿前の左近には樹齢1,000年を超えると言われている白梅が植えられています。白梅は太宰府天満宮の中で、最初に開花するそうです。なお太宰府天満宮は903年(延喜3年)に菅原道真の門弟・味酒安行(うまさけのやすゆき)が菅原道真の遺骸を運んでいた牛が伏して動かなくなった場所に埋葬し、905年(延喜5年)に墓所の上に祀廟(しびょう)を創建して安楽寺と号したのが起源と言われています。

【紅和魂梅|梅】

御神木・紅和魂梅(摩耶紅梅(まやこうばい))は右近の梅と言われ、左近の松とともに本殿前に植えられています。紅和魂梅は北野天満宮の梅の中で唯一神前に植えられることが許された梅です。紅和魂梅は樹齢約350年で、樹高約5メートル・幹回り約2.7メートルです。なお紅和魂梅は平安時代(794年~1185年)に菅原道真が自邸の紅梅殿で丹精込めて育てた紅梅が起源と言われています。
●紅和魂梅は江戸時代(1603年~1868年)前期に先代の紅和魂梅に現在の紅和魂梅を接ぎ木した可能性が高いと推定されました。2015年(平成27年)に紅和魂梅の保護・保存の為、組織培養とDNA型分析が行われると葉(地上部)と根(地下部)で遺伝子型が異なっているのが分かりました。紅和魂梅は老化によって年々花の色が薄まっていることから2015年(平成27年)にクローン技術で組織培養された紅和魂梅5本が境内に植えられ、2022年(令和4年)にクローン技術で生まれた梅から世界で初めて花が開花しました。

【梅苑「花の庭」|梅】

梅苑は1966年(昭和41年)に境内南側に整備されました。梅苑を含む約2万坪の境内には寒紅梅・雲龍梅・思いのまま・月の桂・黒梅・見驚梅・照水梅・冬至梅・源平咲分けなど50種・約1,500本の梅の木が植えられています。北野天満宮では例年12月中旬頃に早咲きが蕾をふくらませ始め、1月の正月明けに開花し、その後徐々に咲き繋ぎ、3月末頃まで楽しめます。梅の見ごろは例年2月中旬頃から3月中旬頃です。なお梅苑は見ごろに一般公開され、ライトアップが行われることもあります。
●北野天満宮には明治時代まで神宮寺の成就院(成就坊)があり、俳諧の祖とも言われる松永貞徳(まつながていとく)が作庭した庭園「花の庭」がありました。「花の庭」は妙満寺の塔頭・成就院の「雪の庭」、清水寺の塔頭・成就院の「月の庭」とともに成就院「雪月花の三名園」と言われていたが、明治時代の廃仏毀釈で成就院が廃寺になると壊されました。北野天満宮では2027年に菅原道真没後1,125年の半萬燈祭を迎える為、2022年(令和4年)1月に残されていた庭石を利用し、「花の庭」が復興されました。

【大福梅・思いのまま|梅】

大福梅・思いのままは北野天満宮で授与されています。北野天満宮で実った梅の実は6月に採取され、樽の中で塩漬けされます。その後梅の実を樽から取り出して天日に干し、再び樽の中で塩漬けにします。11月下旬から梅の実を樽から取り出し、縁起物の裏白を添え、奉書紙で包んだ大福梅は12月13日の事始めから授与されます。北野天満宮で梅を剪定した際、枝は厄除け瓢箪(ひょうたん)を付け、招福の梅の枝・思いのままとして、1月1日から授与されます。瓢箪の中には梅花祭で使われる厄除玄米が入れられており、ご飯と一緒に焚いて食べると一年間の無病息災・厄除のご利益があると言われています。
●大福梅は951年(天暦5年)に疫病が流行した際、村上天皇が大福梅のお茶を飲むと病気が平癒し、それが天皇の元旦の風習になり、庶民にも広がったことに由来しています。

【梅花祭・野点大茶湯|梅】

梅花祭・野点大茶湯は祭神・菅原道真の祥月命日である2月25日に行われています。梅花祭ではお米を蒸し、大小2つの台に盛った大飯・小飯や白梅42本・紅梅33本の小枝を挿した紙立(こうだて)という特別な神饌(梅花御供(ばいかのごく))が供えられ、菅原道真の遺徳を偲びます。野点大茶湯は1587年(天正15年)に関白・豊臣秀吉が行った北野大茶湯(北野大茶会)に因み、花街・上七軒の舞妓・芸妓などの奉仕によって行われています。
●上七軒は室町時代に北野天満宮が再建された際、残った資材を使って東門前の松原に7軒の茶店が建てられたのが起源です。北野大茶湯で茶店が団子を献上し、その褒美にみたらし団子を商う特権と法会茶屋株を公許されました。
●菅原道真の命日である2月25日・誕生日である6月25日に因んで、毎月25日に天神市(骨董市)が行われています。

【梅|北野天満宮見所 備考】
*参考・・・北野天満宮(見どころ・歴史・梅・・・)ホームページ

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