梅(見頃・飛梅・梅苑・菅原道真・・・)北野天満宮見どころ

梅苑

梅(見頃・飛梅・梅苑・菅原道真・・・)

梅を解説します。梅は祭神・菅原道真にこよなく愛され、和歌にも詠まれたこともあり、北野天満宮では梅苑などに約50種・約1,500本の梅の木が植えられています。梅苑は梅が見頃を迎える例年1月下旬頃から3月中旬頃に一般公開されます。(多少前後)(詳細下記参照)

北野天満宮見どころ(本殿・三光門など)

【梅と神紋(星梅鉢紋)】

  • 神紋:北野天満宮の祭神・菅原道真は梅をこよなく愛し、九州・大宰府(だざいふ)に左遷される際、梅の和歌をと詠んだり、その後梅が道真を慕って、大宰府に飛来したという飛梅伝説から梅が北野天満宮の神紋になっています。
  • 星梅鉢紋:北野天満宮の神紋は星梅鉢紋(ほしうめばちもん)です。
  • 梅は中国原産のバラ科サクラ属の落葉高木です。梅は飛鳥時代前期の630年(舒明2年)から平安時代前期の838年(承和5年)に派遣された遣唐使(けんとうし)が唐(中国)から日本に伝えたと言われています。梅には500種以上の品種があるが、野梅系(やばいけい)・紅梅系(緋梅系)・豊後系(ぶんごけい)に大きく分類されるそうです。なお現在、花見と言うと桜を連想するが、奈良時代は中国から伝わった梅で、平安時代になると梅から桜に少しずつ変わって行ったそうです。
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【梅と和歌「東風吹かば・・・」】

  • 和歌:菅原道真は大宰府に左遷される際、こよなく愛した梅・松・桜との別れを惜しみ、紅梅殿で梅について詠んだのが和歌「東風(こち)吹かば にほひおこせよ 梅の花 主なしとて 春を忘るな(拾遺和歌集)」です。和歌は「春の東風が吹き始めたなら梅の木よ、芳しい匂いを漂わせる花を咲かせておくれ。主人は京にいなくとも春の訪れを忘れないで。」という意味だそうです。
  • 拾遺和歌集:「拾遺和歌集(しゅういわかしゅう)」は平安時代中期の1005(寛弘2年)~1006年(寛弘3年)頃に編纂されたそうです。拾遺和歌集は「古今和歌集(こきんわかしゅう)」・「後撰和歌集(ごせんわかしゅう)」に次ぐ、3番目の勅撰和歌集です。

【梅と飛梅伝説】

  • 飛梅伝説:菅原道真は日頃から屋敷内の梅だけでなく、松も桜をこよなく愛していました。その為桜は悲しみに暮れ、葉を落として最後には枯れたと言われています。梅と松は道真の後を追ったが、松は途中で力尽き、兵庫県の須磨(すま)で根を下ろしたと言われています。梅は一晩の内に大宰府に飛来し、飛梅伝説が生まれました。なお北野天満宮の記録には、「延喜7年(907年)2月27日紅梅殿(菅原道真の自宅)ノ梅安楽寺(大宰府の墓所)へ飛而参、単紅梅也」と記され、菅原道真が大宰府で亡くなった4年後に京都から大宰府に飛梅が伝わったとされています。
  • 太宰府天満宮:菅原道真が左遷された太宰府天満宮の本殿前の左近には樹齢1,000年を超えると言われている白梅が植えられています。白梅は太宰府天満宮の中で、最初に開花するそうです。なお太宰府天満宮は903年(延喜3年)に亡くなった菅原道真の門弟・味酒安行(うまさけのやすゆき)が牛が伏して動かなくなった場所に菅原道真の遺骸を埋葬し、905年(延喜5年)に墓所の上に祀廟(しびょう)を創建して安楽寺と号したのが起源と言われています。

【梅と梅苑「花の庭」・見頃一般公開】

  • 梅苑「花の庭」:北野天満宮には本殿前のご神木・紅和魂梅だけでなく、境内には梅の梅苑「花の庭」があります。梅苑「花の庭」など約2万坪の境内には白梅・紅梅など約50種・約1,500本の梅が植えられています。展望台からは梅苑「花の庭」を360度見渡すことができます。
  • 見頃一般公開:梅苑「花の庭」は例年1月下旬頃から3月中旬頃に一般公開されます。北野天満宮では例年12月中旬頃から早咲きの梅がつぼみをふくらませ、正月明けから開花し、徐々に見頃を迎え、3月末頃まで楽しめます。(公開時期はその年の気候の影響を受け、多少前後します。)入場料には茶菓子が含まれ、茶屋でお茶・お菓子を楽しむこともできます。(2025年の入苑料は中学生以上1,200円、小学生600円です。)
  • 豆知識:梅苑「花の庭」には明治時代まで神宮寺の成就院(成就坊)があり、俳諧の祖とも言われる松永貞徳(まつながていとく)が作庭した庭園「花の庭」がありました。「花の庭」は、妙満寺の塔頭・成就院の「雪の庭」、清水寺の塔頭・成就院の「月の庭」とともに成就院「雪月花の三名園」と言われていたが、明治時代の廃仏毀釈で「花の庭」も壊されました。2022年(令和4年)に残されていた庭石を利用し、「花の庭」が復興されました。

【梅と大福梅・思いのまま】

  • 大福梅:梅苑などで実った梅の実は6月に採取され、樽(たる)の中で塩漬けにします。その後梅の実を樽から取り出して天日干しにし、再び樽の中で塩漬けにします。11月下旬から梅の実を樽から取り出し、縁起物の裏白を添え、奉書紙で包んで大福梅は12月13日の事始めから授与されます。
  • 思いのまま:梅を剪定した際の枝は厄除け瓢箪(ひょうたん)をつけ、招福の梅の枝・思いのままとして、1月1日の元旦0時から授与されます。瓢箪の中には梅花祭で使われる厄除玄米が入れられており、ご飯と一緒に焚いて食べると一年間の無病息災・厄除のご利益があると言われています。

【梅と菅原道真】

  • 菅原道真:菅原道真は845年(承和12年)に公家・菅原是善(すがわらのこれよし)と母・伴真成(とものまさしげ)の娘の子として生まれました。幼少の頃から和歌・漢詩に優れ、862年(貞観4年)に文章生(もんじょうしょう)試験に合格し、867年(貞観9年)に文章生から2名が選ばれる文章得業生(もんじょうとくごうしょう)になりました。886年(仁和2年)に讃岐守に任命されて讃岐国に下向したが、890年(寛平2年)に第59代・宇多天皇の側近として帰京し、その後国政を担う公卿(くぎょう)に列しました。899年(昌泰2年)に右大臣に任命されるが、901年(昌泰4年)に左大臣・藤原時平(ふじわらのときひら)の讒言(告げ口)により、太宰府に左遷され、903年(延喜3年)に太宰府で亡くなりました。菅原道真の死後、都では悪疫が続き、菅原道真の怨霊の仕業と恐れられました。その為菅原道真の死後20年目に朝廷は菅原道真の左遷を撤回して官位を復し、正二位(しょうにい)を贈りました。993年(正暦4年)には正一位(しょういちい)・右大臣・太政大臣(だじょうだいじん)を追贈しました。
  • 祥月命日:菅原道真の祥月命日・2月25日に梅花祭が行われます。梅花祭では本殿での梅花祭神事の後、野点大茶湯が行われます。(要確認)

【梅と北菅大臣神社・菅大臣神社】

  • 北菅大臣神社・菅大臣神社:菅原道真が「東風吹かば にほひおこせよ 梅の花 主なしとて 春を忘るな(拾遺和歌集)」と詠んだ場所は現在、北菅大臣神社(きたかんだいじんじんじゃ)・菅大臣神社(かんだいじんじんじゃ)が建立されている場所だと言われています。両神社は菅原道真が大宰府で亡くなった直後に建立されたが、鎌倉時代末期に紛争があり、北菅大臣神社と菅大臣神社に分かれたと言われています。
  • 北菅大臣神社:北菅大臣神社は京都府京都市下京区仏光寺通新町西入北側菅大臣町190にあります。北菅大臣神社は天神御所・紅梅殿社などと言われました。
  • 菅大臣神社:菅大臣神社は京都府京都市下京区仏光寺通新町西入菅大臣町187-1にあります。菅大臣神社は天神御所・白梅殿社などと言われました。

【梅 備考】
*参考・・・北野天満宮(見どころ・歴史・梅・・・)ホームページ

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