京都初詣2035・卯年(兎年)スポット(岡崎神社・・・)
京都卯年の初詣スポット
京都卯年(うさぎどし)の初詣スポットを紹介しています。岡崎神社は本殿前に狛うさぎが置かれたり、手水舎(ちょうずや)に黒御影石(くろみかげいし)の子授けうさぎ像が置かれたりします。また招きうさぎなども置かれています。岡崎神社がある場所一帯はかつて野兎の生息地だった為、兎が氏神の神使とされています。
【十二支とは 京都卯年の初詣スポット】
- 十二支(じゅうにし)は子(ね・鼠(ねずみ))・丑(うし・牛)・寅(とら・虎)・卯(う・兎(うさぎ))・辰(たつ・龍(りゅう))・巳(み・蛇(へび))・午(うま・馬)・未(ひつじ・羊)・申(さる・猿)・酉(とり・鶏(にわとり))・戌(いぬ・犬)・亥(い・猪(いのしし))からなります。十二支は中国の殷(いん)時代(紀元前17世紀頃~紀元前1046年)に甲骨文字(こうこつもじ)を記す際に十干(じっかん)と組み合わされて日付の記録に利用されていました。中国の戦国時代(紀元前403年~紀元前221年)以降に日(日付)だけでなく、年・月・時刻・方位の記述にも利用されるようになりました。中国ではインドの木星紀年法を取り入れ、動物を当てはめたと言われています。日本では古代に中国から伝わり、5世紀の古墳の出土品に「辛亥年七月中。」などという干支が刻まれています。
【言社(下鴨神社の末社) 京都卯年の初詣スポット】
- 言社(ことしゃ)は下鴨神社(しもがもじんじゃ)の末社で、十二支の守護神です。言社は何年(なにどし)でも、何年(なんねん)生まれでもご利益があるとも言われています。祭神・大国主命(おおくにぬしのみこと)は7つの名前と7つの働きを持ち、その名前ごとに7つの社が祀られています。巳(み)・未(ひつじ)の守護神は一言社(東社)、午(うま)の守護神は一言社(西社)、子(ね)の守護神は二言社(北社)、丑(うし)・亥(い)の守護神は二言社(南社)、卯(う)・酉(とり)の守護神は三言社(北社)、寅(とら)・戌(いぬ)の守護神は三言社(中社)、辰(たつ)・申(さる)の守護神は三言社(南社)です。
- 言社は起源が明確ではありません。言社は大国さんと親しく呼ばれています。言社の祭神・大国主命は日本最古の歴史書「古事記(こじき)」の「因幡の白兎(いなばのしろうさぎ)」に登場します。
【岡崎神社 京都卯年の初詣スポット】
- 岡崎神社(おかざきじんじゃ)は本殿前に狛うさぎが置かれたり、手水舎(ちょうずや)に黒御影石(くろみかげいし)の子授けうさぎ像が置かれたりします。また招きうさぎなども置かれています。岡崎神社がある場所一帯はかつて野兎(のうさぎ)の生息地だった為、兎が氏神の神使とされています。
- 岡崎神社は794年(延暦13年)の第50代・桓武天皇による平安京遷都の際、王城鎮護の為に平安京の四方に造営された社のひとつです。岡崎神社は当初平安京の東に位置したことから東天王(ひがしてんのう)と言われていました。その後平安時代前期の869年(貞観11年)に第56代・清和天皇が社殿を再建し、播磨広峰(はりまひろみね)から祭神・素戔嗚尊(すさのおのみこと)などを改めて勧請し、東光寺の鎮守社になったとも言われています。平安時代後期の1178年(治承2年)に平清盛(たいらのきよもり)の娘で、第80代・高倉天皇の中宮(皇后)、第81代・安徳天皇の生母である平徳子(たいらのとくし)のお産の奉幣(へいはく)を賜ったことから安産の神として信仰されるようになりました。鎌倉時代の1319年(元応元年)に第96代・後醍醐天皇が再建し、神階・正一位と神宝を賜りました。なお岡崎神社は素戔嗚尊・櫛稲田媛命(くしなだひめのみこと)とその御子・三女五男八柱神(やはしらのみこがみ)を祀っています。また兎が氏神のお使いとされ、狛犬の代わりに狛うさぎなどが置かれています。
【宇治神社・宇治上神社(世界遺産) 京都卯年の初詣スポット】
- 宇治神社(うじじんじや)は正しい道へと導く神使いのみかえり兎が祀られています。宇治神社の祭神・菟道稚郎子命(うじのわきのいらつこのみこと)が河内から向かう途中、道に迷っていると一羽の兎が現れ、菟道稚郎子命を振り返り、振り返り先導したとも言われ、神様のお使いとされています。なお世界遺産・宇治上神社(うじがみじんじゃ)はかつて宇治神社と一体の存在とされていました。
- 宇治神社は第15代・応神天皇の離宮・桐原日桁宮(きりはらひけたのみや)やその皇子で、皇太子・菟道稚郎子(うじのわきいらつこ)の宮居・莵道の宮(うじのみや)があった場所とも言われています。310年(応神天皇41年)に第15代・応神天皇が崩御し、皇太子・菟道稚郎子とその兄・大鷦鷯尊(おほさざきのみこと)が互いに皇位を譲り合っていたが、312年(応神天皇43年)に皇太子・菟道稚郎子が兄・大鷦鷯尊に皇位を譲る為に自殺し、第16代・仁徳天皇に即位した大鷦鷯尊が菟道稚郎子の神霊を祠に祀ったとも言われています。
- 宇治上神社は古墳時代に第15代・応神天皇の皇子で、第16代・仁徳天皇の異母弟である菟道稚郎子皇子(うじのわきいらつこのみこと)の離宮・桐原日桁宮(きりはらのひげたのみや)があった場所とも言われています。宇治上神社は起源が明確ではありません。宇治上神社は平安時代に山城国司が第60代・醍醐天皇の勅によって社殿を造営したのが起源とも言われています。
【霊鑑寺 京都卯年の初詣スポット】
- 霊鑑寺(れいかんじ)は洛陽十二支妙見めぐり(らくようじゅうにしみょうけんめぐり)の卯(東)にあたり、鹿ケ谷の妙見さんとも言われています。洛陽十二支妙見めぐりは京都市内で妙見大菩薩が祀られている十二箇所の霊場です。なお霊鑑寺は通常非公開です。(要確認)
- 霊鑑寺(れいかんじ)は1612年(慶長17年)に第107代・後陽成天皇の典侍(ないしのすけ)・持明院基子(じみょういんもとこ)が子で、後陽成天皇の第6皇子である妙法院(みょうほういん)門跡・尭然法親王(ぎょうねんほっしんのう)から贈られて住居を建てた場所と言われています。その後持明院基子が亡くなり、第108代・後水尾天皇の皇后・東福門院(徳川和子)に住居が譲られたと言われています。霊鑑寺は1654年(承応3年)に後水尾天皇が第12皇女・宗澄女王(そうちょうじょおう・月江宗澄(げっこうそうちょう))を開基として創建しました。その後第111代・後西天皇の皇女で、霊鑑寺2世・光山宗栄(普賢院)の時に現在の場所に移ったと言われています。1873年(明治6年)頃に霊鑑寺は南禅寺の管理下に置かれたそうです。なお霊鑑寺は江戸時代末期に大聖寺・宝鏡寺・曇華院・光照院・圓照寺・林宮寺・中宮寺などとともに比丘尼御所(びくにごしょ)・御宮室(ごきゅうしつ)とされました。
【大国主社(八坂神社の末社) 京都卯年の初詣スポット】
- 大国主社(おおくにぬししゃ)は八坂神社(やさかじんじゃ)の末社です。大国主社は大国主命(おおくにぬしのみこと)・事代主命(ことしろぬしのみこと)・少彦名命(すくなひこなのみこと)を祀り、社殿・鳥居前に大国さまと白うさぎ像が置かれています。大国主命が皮をはがれた白ウサギを救う日本最古の歴史書「古事記(こじき)」の因幡の白兎(いなばのしろうさぎ)に由来しています。
- 大国主社の祭神・大国主命は八坂神社の祭神・素戔嗚尊(すさのおのみこと)の六世の孫とされています。また事代主命は大国主命の御神とされています。なお八坂神社は656年(斉明天皇2年)に高麗(高句麗)から来日した調進副使・伊利之使主(いりしおみ)が新羅(しらぎ)・牛頭山に座した素戔嗚尊(すさのおのみこと)=牛頭天王(ごずてんのう)を山城八坂郷に奉斎したのが起源とも、876年(貞観18年)に南都(奈良)の僧・円如(えんにょ)が堂(観慶寺)を建立して薬師千手等の像を奉安し、その後天神(祇園神)が東山の麓・祇園林に垂跡(すいじゃく)したのが起源とも言われています。また829年(天長6年)に参議・紀百継(きのももつぐ)が山城八坂郷丘一処を賜り、神の祭祀を行ったのが感神院(かんしんいん)の起源とも言われています。
【京都卯年の初詣スポット 備考】
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