京都初詣2033・丑年スポット(北野天満宮・・・)

京都初詣2033・丑年スポット
京都初詣2033・丑年スポットを紹介しています。北野天満宮は境内になで牛が十数体奉納されたり、牛舎が祀られたりしています。北野天満宮の祭神・菅原道真は「生まれたのが丑年」・「亡くなったのが丑の月の丑の日」・「墓所の位置は牛が決めた」などとされ、牛は菅原道真のお使いとされています。
【初詣 十二支】
十二支(じゅうにし)は子(ね・鼠(ねずみ))・丑(うし・牛)・寅(とら・虎)・卯(う・兎(うさぎ))・辰(たつ・龍(りゅう))・巳(み・蛇(へび))・午(うま・馬)・未(ひつじ・羊)・申(さる・猿)・酉(とり・鶏(にわとり))・戌(いぬ・犬)・亥(い・猪(いのしし))からなります。十二支は中国の殷(いん)時代(紀元前17世紀頃~紀元前1046年)に甲骨文字(こうこつもじ)を記す際に十干(じっかん)と組み合わされて日付の記録に利用されていました。中国の戦国時代(紀元前403年~紀元前221年)以降に日(日付)だけでなく、年・月・時刻・方位の記述にも利用されるようになりました。中国ではインドの木星紀年法を取り入れ、動物を当てはめたと言われています。日本では古代に中国から伝わり、5世紀の古墳の出土品に「辛亥年七月中。」などという干支が刻まれています。
【京都初詣2033・丑年スポット 言社(下鴨神社の末社)・左京区】
何年でも、何年生まれでもご利益があるとも言われています。
下鴨神社(しもがもじんじゃ)の末社・言社(ことしゃ)は十二支の守護神です。言社の祭神・大国主命(おおくにぬしのみこと)は7つの名前と7つの働きを持ち、その名前ごとに7つの社が祀られています。巳(み)・未(ひつじ)の守護神は一言社(東社)、午(うま)の守護神は一言社(西社)、子(ね)の守護神は二言社(北社)、丑(うし)・亥(い)の守護神は二言社(南社)、卯(う)・酉(とり)の守護神は三言社(北社)、寅(とら)・戌(いぬ)の守護神は三言社(中社)、辰(たつ)・申(さる)の守護神は三言社(南社)です。
言社(ことしゃ)・大国さまは起源が明確ではありません。言社は日本最古の歴史書「古事記(こじき)」の因幡の白兎(いなばのしろうさぎ)に登場する大国主命(おおくにぬしのみこと)を祀っています。
言社・京都初詣スポット(丑年)
【京都初詣2033・丑年スポット 北野天満宮・上京区】
北野天満宮(きたのてんまんぐう)は境内になで牛が十数体奉納されたり、牛舎(うししゃ)が祀られたりしています。北野天満宮の祭神・菅原道真(すがわらのみちざね)は「生まれたのが丑年」・「亡くなったのが丑の月の丑の日」・「墓所の位置は牛が決めた」などとされ、牛は菅原道真のお使いとされています。
北野天満宮(きたのてんまんぐう)は平安時代中期の947年(天暦元年)に西ノ京に住んでいた多治比文子(たじひのあやこ)・近江(滋賀)比良宮(ひらのみや)の神主である神良種(みわのよしたね)・北野朝日寺(東向観音寺(ひがしむかいかんのんじ))の僧である最珍(さいちん・最鎮)らが神殿を造営し、祭神・菅原道真(すがわらのみちざね)を祀ったのが起源です。903年(延喜3年)に菅原道真が左遷された大宰府で没し、942年(天慶5年)に多治比文子に宣託があり、947年(天暦元年)には神良種の子・太郎丸に再び託宣があったとも言われています。その後菅原道真の左遷の原因になった左大臣・藤原時平(ふじわらのときひら)の甥・藤原師輔(ふじわらのもろすけ)が私邸を寄贈し、大規模な社殿が造営されました。987年(永延元年)に第66代・一条天皇が勅使を派遣して国家の平安を祈願する勅祭が行われ、神号「北野天満宮天神」を賜り、1004年(寛弘元年)には一条天皇が行幸し、その後皇室に崇敬されました。しかし1444年(文安元年)の文安の麹騒動(ぶんあんのこうじそうどう)で室町幕府の攻撃によって焼失して一時衰退しました。1587年(天正15年)に関白・豊臣秀吉が境内で北野大茶会(きたのだいさのえ)を行い、1607年(慶長12年)には秀吉の子・豊臣秀頼が本殿などを造営しました。
京都・北野天満宮・京都初詣スポット(丑年)
【京都初詣2033・丑年スポット 虚空蔵法輪寺・西京区】
虚空蔵法輪寺(こくうぞうほうりんじ)は本堂前に牛と虎の一対の石像が置かれています。虚空蔵法輪寺の本尊・虚空蔵菩薩は丑年・寅年生まれの守護とされています。虚空蔵法輪寺は円蔵寺と金剛証寺とともに日本三大虚空蔵に数えられています。虚空蔵は宇宙のあらゆる物を一切収蔵しているという意味だそうです。
虚空蔵法輪寺(こくうぞうほうりんじ)は三光明星尊を祀った葛野井宮(かずいのぐう)があった場所とも言われています。法輪寺は寺伝によると713年(和銅6年)に僧・行基(ぎょうき・ぎょうぎ)が第43代・元明天皇の勅願によって創建した木上山葛井寺(もくじょうざんかづのいでら)が起源と言われています。木上山葛井寺は国家安穏・万民の繁栄・五穀豊穣・産業の興隆を祈願する勅願所となったとも言われています。829年(天長6年)に真言宗の開祖である弘法大師・空海の高弟・道昌(どうしょう)が本尊・虚空蔵菩薩像を安置し、868年(貞観10年)に法輪寺に名称が改められ、天慶年間(938年~947年)に市聖(いちひじり)と言われた空也上人(くうやしょうにん)が伽藍を修造したと言われています。その後応仁の乱(1467年(応仁元年)~1477年(文明9年))の兵火によって焼失し、1597年(慶長2年)に第107代・後陽成天皇の勅旨と加賀・前田家の帰依によって再建されました。しかし1864年(元治元年)の禁門の変(元治の大火)によって焼失し、1884年(明治17年)に現在の本堂が再建しました。
虚空蔵法輪寺・京都初詣スポット(丑年)
【京都初詣2033・丑年スポット 菅原道真】
京都には牛をお使いとする菅原道真(すがわらのみちざね)を祭神とする錦天満宮(中京区)・文子天満宮(北野天満宮の境内末社・上京区)・長岡天満宮(長岡京市)・吉祥院天満宮(南区)・菅大臣神社(下京区)などがあります。
●錦天満宮(にしきてんまんぐう)は社伝によると平安時代前期の10世紀初頭に菅原道真の生家・菅原院に創建されたとも言われています。錦天満宮は錦市場など繁華街の鎮守社とされています。
錦天満宮・京都初詣スポット(丑年)
●文子天満宮(あやこてんまんぐう)は多治比文子が北野天満宮の祭神・菅原道真を最初に祀った社と言われています。1873年(明治6年)に北野天満宮境内の現在の場所に移されました。
文子天満宮・京都初詣スポット(丑年)
●長岡天満宮(ながおかてんまんぐう)は平安時代に祭神・菅原道真の所領だった場所です。道真は第51代・平城天皇の孫で、歌人・在原業平らと詩歌・管弦を楽しんだと言われています。
長岡天満宮・京都初詣スポット(丑年)
●吉祥院天満宮(きっしょういんてんまんぐう)は794年(延暦13年)に桓武天皇による平安京遷都の際、菅原道真の曽祖父・土師古人が桓武天皇から賜って邸を構えた場所です。
吉祥院天満宮・京都初詣スポット(丑年)
●菅大臣神社(かんだいじんじんじゃ)は菅原道真の邸跡と言われ、産湯の井戸が残されています。903年(延喜3年)に菅原道真が左遷された大宰府で亡くなった直後に創建されたとも言われています。
菅大臣神社・京都初詣スポット(丑年)
【京都初詣2033・丑年スポット 備考】
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