八坂神社厄除ちまき授与2025年7月1日~31日(日程時間・・・)

八坂神社厄除ちまき授与(日程時間・アクセス・概要・・・)

八坂神社厄除ちまき授与(日程・時間・・・)を紹介しています。厄除ちまき授与は例年祇園祭期間の7月1日から31日に行われています。厄除ちまき授与では笹の葉で調製された疫病・災難除けのお守りである厄除け粽が授与されます。八坂神社の神職は祇園祭期間中に「蘇民将来子孫也」の護符を身に着けて神事に奉仕します。(詳細下記参照)

【八坂神社厄除ちまき授与2025 日程時間(要確認)】
八坂神社厄除ちまき授与2025は2025年(令和7年)7月1日(火曜日)~31日(木曜日)に行われます。
*参考・・・八坂神社ホームページ
祇園祭ちまき販売(前祭)祇園祭ちまき販売(後祭)

【八坂神社厄除ちまき授与 アクセス・マップ】
場所・・・京都府京都市東山区祇園町北側625番地
最寄り駅・バス停・・・祇園(徒歩すぐ)

アクセス路線は次の通りです。(最終更新2014年末・変更の場合あり)
*京都駅から八坂神社は100系統(D1乗り場)、110系統(D1乗り場)、206系統(D2乗り場)
*四条河原町・四条烏丸・四条堀川・四条大宮からは46系統、201系統、203系統、207系統
*河原町丸太町・烏丸丸太町・堀川丸太町からは202系統
路線・時刻表・運賃チェック

*京阪電鉄本線の場合、最寄り駅は祇園四条駅(徒歩約5分)
*阪急電鉄京都線の場合、最寄り駅は京都河原町駅(徒歩約8分)

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【八坂神社厄除ちまき授与 歴史・簡単概要】
八坂神社厄除ちまき授与(やくよけちまきじゅよ)は例年祇園祭期間の7月1日から31日に行われています。なお祇園祭期間中には宵山を中心に山鉾町でも厄除ちまきを授与しています。一部の山鉾町では近年、ネット授与も行っています。
厄除ちまき授与では笹の葉で調製された疫病・災難除けのお守りである厄除け粽が授与されます。厄除け粽は「備後国風土記(びんごのくにふどき)」逸文(いつぶん)に記されている蘇民将来(そみんしょうらい)の説話に因み、「蘇民将来子孫也」の護符がつけられています。ちなみに八坂神社では祇園祭期間中に神職が「蘇民将来子孫也」の護符を身に着けて神事に奉仕します。八坂神社では祇園祭期間中に厄除ちまきだけでなく、蕊(しべ)が十文字で、鈴つきの護符の祇園守に似ている祇園守(ムクゲ)・祇園祭団扇・無病息災を祈願した茅の輪守(茅之輪守)も授与しています。なお八坂神社では7月31日に蘇民将来を祀る疫神社(えきじんじゃ)で祇園祭を締めくくる疫神社夏越祭(なごしさい)を行ない、茅の輪守も授与しています。
「備後国風土記」逸文は「釈日本紀」によると「素菱鳴尊乞 宿於衆神。備後國風土記日。疫隅國社。昔北海坐志武塔神。南海神之女子乎与波比尓坐尓。日暮。彼所蘇民将来二人在伎。兄蘇民将来甚貧窮。弟将来富饒。屋倉一百在伎。爰塔神借宿處。惜而不借。兄蘇民将来借奉。即以粟柄爲座。以粟飯等饗奉奉爲爰畢出坐。後尓経年率八柱子還来天詔久。我我奉之為報。塔日。汝子孫其家尓在哉止問給。蘇民将来塔申久。己女子与斯婦侍止申。即詔久。以茅輪令着於腰上。随詔令着。即夜尓蘇民之女子一人乎置天。皆悉許呂志保呂保志天伎。即詔久。吾者速須佐雄能神也。後世仁疫気在者。汝蘇民将之子孫止云天。以茅輪着腰。上詔随詔令着即夜在人者将免止詔伎。」と記され、南海を旅していた素戔嗚尊が宿を求めて、貧しい兄である蘇民将来と裕福な弟である巨旦将来を尋ねます。巨旦将来は宿を貸さずに断り、蘇民将来は貧しいながらも粟穀の座と粟飯でもてなして宿を貸しました。素戔嗚尊は蘇民将来に報いる為、「後の世に疫病流行すれば、蘇民将来の子孫といい、茅の輪を腰につけておけば免れさせる」と約束しました。
八坂神社では夏に本殿裏でムクゲ(槿・木槿)の一種である祇園守が半八重咲きの可憐な白い花を咲かせます。祇園守は中心部の蕊(しべ)が十文字で、八坂神社が授与している護符「祇園守」に似ているところから名付けられました。祇園守は7月の祇園祭が始まる頃から咲き始め、祇園祭の花として親しまれています。八坂神社では献花でムクゲを飾る習わしがあり、祇園祭には神前にムクゲを御饌花として供えます。ちなみにムクゲは一日花で次々に花が入れ替わるように咲き、「槿花一朝の夢」・「槿花一日の栄」・「槿花一晨の栄え」とも称されるが、花季が長く祇園祭が終わった8月も楽しめます。
八坂神社で授与される厄除ちまきは八坂神社の分社・尾長野八坂神社(おながのやさかじんじゃ)が祀られている京丹波町で一部が作られています。2023年(令和5年)は八坂神社で授与される20,000束(個)の内、約8,000束(個)が京丹波町で作られます。なお京丹波町では7年前の2019年(令和元年)から作られているそうです。

【八坂神社 歴史・簡単概要】
八坂神社は656年(斉明天皇2年)に高麗(高句麗)から来日した調進副使・伊利之使主が新羅・牛頭山に座した素戔嗚尊(牛頭天王)を山城八坂郷に奉斎したのが起源とも、876年(貞観18年)に南都(奈良)の僧・円如が堂(観慶寺)を建立して薬師千手等の像を奉安し、その後天神(祇園神)が東山の麓・祇園林に垂跡したのが起源とも言われています。また829年(天長6年)に参議・紀百継が山城八坂郷丘一処を賜り、神の祭祀を行ったのが感神院の起源とも言われています。その後869年(貞観11年)に流行した疫病を鎮める御霊会が神泉苑で行われたのが祇園祭の起源と言われ、970年(天禄元年)からは毎年御霊会が行われるようになりました。995年(長徳元年)に王城鎮護の社として二十一社(二十二社)に数えられ、1072年(延久4年)には第71代・後三条天皇が初めて行幸しました。なお八坂神社はかつて感神院・祇園社と言われていました。
八坂神社は全国の八坂神社や素戔嗚尊を祭神とする神社の総本社です。
*参考・・・京都・八坂神社(拝観料・アクセス・歴史概要・見どころ・・・)ホームページ

【八坂神社厄除ちまき授与 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
祇園祭2025日程一覧(宵山屋台・山鉾巡行・・・)

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