祇園祭山鉾巡行(前祭)解説2025年7月17日(辻回し・・・)

祇園祭山鉾巡行(Former Festival Yamahoko-Junko)

祇園祭山鉾巡行(前祭)解説

祇園祭山鉾巡行(前祭)を解説します。山鉾巡行(前祭)では長刀鉾を先頭に山鉾23基が四条烏丸から四条通・河原町通・御池通の順に巡行し、祇園囃子が奏でられたり、稚児舞・くじ改め・注連縄切り・辻回しが行われたりします。

★祇園祭最新情報。

【祇園祭山鉾巡行(前祭) 日程時間(要確認)】

祇園祭山鉾巡行(前祭)は7月17日9:00から行われます。なお山鉾巡行(前祭)は原則雨天決行です。
祇園祭山鉾巡行
●祇園祭の主要行事の日程を確認できます。(下記リンク参照)
祇園祭2026日程一覧(宵山屋台・山鉾巡行・・・)

【祇園祭山鉾巡行ルート マップ・地図】


四条烏丸出発(9:00)→四条河原町(9:35頃)→河原町御池(10:20頃)→新町御池到着(11:20頃)

【祇園祭山鉾巡行解説 基礎知識】

祇園祭山鉾巡行(前祭)は夕方から行われる神輿渡御・神幸祭(しんこうさい・おいで)に先立って行い、山鉾巡行で祓い清めます。なお山鉾巡行は平安時代の999年(長保元年)に雑芸者・無骨(むこつ)が天皇の即位の礼の直後に行う新嘗祭・大嘗祭(だいじょうさい)の標山(しめやま)に似た作山を造り、祇園祭・山鉾巡行に参加したのが起源とも言われています。標山は神を祀る為の山型の造形物で、縁起のよい祥瑞(しようずい)を表す意匠が施されました。

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【四条烏丸(しじょうからすま)スタート】

山鉾は四条烏丸(四条通・烏丸通の交差点)からスタートすることから四条通以外に建てられた山鉾は四条通に進入します。山鉾巡行の順番を決定する7月2日のくじ取り式の結果に基づいて、四条通への進入などが調整されます。その際に大型の鉾(ほこ)・曳山(ひきやま)・船鉾(ふねほこ)である鶏鉾(にわとりほこ)・菊水鉾(きくすいほこ)・放下鉾(ほうかほこ)・岩戸山(いわとやま)・船鉾は90度方向転換する辻回しを行います。先頭を巡行する長刀鉾(なぎなたほこ)は烏丸通よりも東側に建てられていることから四条烏丸までバックします。そして出発直前に7月13日の長刀鉾稚児社参(お位もらい)で、五位少将・十万石大名相当の格式を授かり、神のお使いとされる稚児が強力(ごうりき)の肩に担がれたまま梯子(はしご)を登って長刀鉾に搭乗します。途中で見返りが行われます。ちなみに長刀鉾稚児はお位もらい以後は公の場では地面に足をつけず、強力の肩に担がれて移動します。四条烏丸では7月2日のくじ取り式で決まった順番で出発します。なお四条通などでは車道に突き出ている信号機が山鉾巡行の障害にならないようにクレーン車を使って、信号機の向きが90度ほど変えられます。

【四条通(しじょうどおり)を東進】

山鉾は先ず祇園祭を主催する八坂神社方面(東)に進みます。囃子方がいる長刀鉾・函谷鉾(かんこほこ)・鶏鉾・菊水鉾・月鉾(つきほこ)・放下鉾・船鉾・岩戸山・綾傘鉾(あやかさほこ)・四条傘鉾(しじょうかさほこ)は祇園囃子を奏でます。ちなみに長刀鉾には「地囃子(じばやし)」・「上げ」・「神楽(かぐら)」・「唐子(からこ)」・「兎(うさぎ)」・「流し」・「朝日」・「青葉」・「鼓(つづみ)」・「霞(かすみ)」・「筑紫(つくし)」・「千鳥」・「柳」・「獅子(しし)」・「四叟」・「扇」・「巴(たつみ)」・「九段」・「緑」・「柏」・「御凌(みそぎ)」・「四季」・「浪花」・「古(ふる)」・「太郎」・「美知賀」・「ぬけ」など30数曲の曲目があり、四条通では「地囃子」・「神楽」・「唐子」など非常にゆっくりしたテンポの祇園囃子が奏でられます。長刀鉾では町名が変わるごとに稚児が疫病の退散を祈願する稚児舞(太平の舞)を舞って山鉾巡行ルートを清め祓います。稚児は両手に握ったバチを交差させ、体を大きく、優雅に旋回させて胸に抱いた鼓(つづみ)を叩きます。

【四条堺町(しじょうさかいまち)でくじ改め】

山鉾が四条堺町に到着するとくじ改めが行われ、7月2日のくじ取り式で決まった順番通りに巡行しているかを確認します。山鉾の町行司は奉行(京都市長)にくじ(鬮)の入った文箱を扇子(せんす)を使って紐(ひも)を解き、蓋(ふた)を開けてくじ(鬮)を差し出します。奉行は順番を読み上げ、確認が済むと町行司が後ずさりして戻って扇子で山鉾を招きます。くじ改めではくじ取らずの長刀鉾(先頭)・函谷鉾(5番目)・放下鉾(21番目)・岩戸山(22番目)・船鉾(23番目)は奉行に挨拶を行います。舁山(かきやま)である保昌山(ほうしょうやま)・孟宗山(もうそうやま)・占出山(うらでやま)・山伏山(やまぶしやま)・霰天神山(あられてんじんやま)・郭巨山(かっきょやま)・伯牙山(ほくがやま)・芦刈山(あしかりやま)・油天神山(あぶらてんじんやま)・木賊山(とくさやま)・太子山(たいしやま)・白楽天山(はくらくてんやま)・蟷螂山(とうろうやま)は山を回転させる山回しを行います。

【四条麩屋町(しじょうふやちょう)で注連縄切り】

長刀鉾が四条麩屋町に到着すると注連縄切り(しめなわきり)が行われ、神域との結界が解放してから更に東に巡行します。長刀鉾が四条麩屋町に到着すると7月15日に四条通の南北に建てられた斎竹(いみだけ)に注連縄(しめなわ)が張られ、稚児が稚児舞(太平の舞)を披露し、その後注連縄を太刀で切ります。注連縄切りは太刀を使うことから長刀鉾稚児と稚児を後からサポートする稚児係が二人羽織(ににんばおり)のように行います。

【四条御旅所(しじょうおたびしょ)前を通過】

山鉾は同日午後から行われる神幸祭(しんこうさい・おいで)で3基の神輿が泰安される四条御旅所(八坂神社御旅所・祇園御旅所)の前を通過します。四条御旅所は1591年(天正19年)に関白・豊臣秀吉(とよとみひでよし)が大政所御旅所(おおまんどころおたびしょ)と少将井御旅所(しょうしょういおたびしょ)を統合し、現在の場所に移しました。

【四条河原町(しじょうかわらまち)で辻回し】

大型の山鉾が四条河原町(四条通・河原町通の交差点)に到着すると辻回しが行われ、90度方向転換します。鉾・曳山・船鉾である長刀鉾・函谷鉾・鶏鉾・菊水鉾・月鉾・放下鉾・岩戸山・船鉾は道路に青竹(ささら)などを敷って水を掛け、引き綱を何回か横から引き、山鉾を90度方向転換させます。山鉾巡行では「エンヤラヤー」と音頭を取る音頭方は通常2人だが、辻回しでは音頭方が4人になり、掛け声も「ヨイヨイヨイトセ ヨイトセ」に変わります。なお四条河原町を境に囃子方が奏でる祇園囃子の調子が変わります。四条烏丸から四条河原町まではゆっくりしたスローテンポの奉納囃子(渡り囃子)、その後は早いテンポの戻り囃子に変わります。奉納囃子は祇園祭を行う八坂神社に対するものです。

【河原町通(かわらまちどおり)を北上】

山鉾は河原町通を北上します。河原町通からは囃子方が奏でる祇園囃子の調子が変わり、帰路になります。函谷鉾には「地囃子(曳き出し)」・「出わか」・「出函谷」・「出鶴」・「出葉津美」・「小松」・「神楽」・「唐子」・「白山」・「松」・「地囃子(渡り)」・「地囃子(筑紫)」・「松-流し」・「常目-萬歳」・「巴、一二三(筑紫)」・「一二三(渡り)」・「若葉、小横」・「虎、小横」・「函谷-美登里」・「榊-初音」・「鶴-朝日」・「末-神楽」・「龍、立横」・「竹-流し」・「亀-四季、横」・「翁、霞」・「梅、一二三」・「千鳥-流し」・「若」など40数曲の曲目があり、河原町通以降は早いテンポの戻り囃子が奏でられます。河原町三条交差点北側(河原町姉小路)で舞妓が山鉾町の役員から厄除けちまき(粽)を受け取り、代わりに御神酒を献酒することがあります。なお祇園祭では「鴨川を神輿は渡り 山鉾は渡らず」と言われ、山鉾は鴨川を渡らず、鴨川の手前で方向転換します。

【河原町御池(かわらまちおいけ)で辻回し】

鉾・曳山・船鉾である長刀鉾・函谷鉾・鶏鉾・菊水鉾・月鉾・放下鉾・岩戸山・船鉾が河原町御池(河原町通・御池通の交差点)に到着すると四条河原町と同様に辻回しが行われ、90度方向転換します。

【御池通(おいけどおり)を西進】

山鉾は御池通を西に進みます。京都市役所は7月24日の山鉾巡行(後祭)の際にくじ改めが行われます。御池通は四条通・河原町通に比べると人出が少ないことから例年有料観覧席が設置されています。

【新町御池(しんまちおいけ)で解散】

長刀鉾が新町御池付近に到着すると稚児が長刀鉾を降り、山鉾巡行(前祭)は解散になります。なお稚児は八坂神社に向い、授かった五位少将・十万石大名相当の格式を返すお位返しの儀(おくらいがえしのぎ)を行います。

【新町通(しんまちどおり)などから山鉾町に帰参】

山鉾は山鉾巡行の解散後に山鉾町に戻る為、四条河原町と同様に新町御池(新町通・御池通の交差点)・四条新町(四条通・新町通の交差点)・四条室町(四条通・室町通の交差点)でも辻回しが行われます。なお山鉾は通りや町から厄を集めて清めるとされていることから厄が通りや町に戻らないようにできるだけ早く解体され、蔵などに戻されます。大型の山鉾でも山鉾巡行の翌日7月18日中にはほぼ解体されていると言われています。

【祇園祭山鉾巡行の基礎知識】

山鉾巡行(前祭)ではかつて四条烏丸を出発し、四条通を東に進み、四条御旅所の手前である四条寺町で辻回しを行い、寺町通を南に進み、寺町松原で辻回しを行い、松原通を西に進み、松原烏丸で解散していました。巡行中には長刀鉾稚児が松原通にある祗園床で休憩し、木の実の菓子と水で点てた薄茶でもてなされ、頓宮祇園社に参っていたそうです。ちなみに「祇園会細記(ぎおんえさいき)」には旧暦の6月7日の卯の刻(午前5時~6時)に山鉾が出発していたことが記されています。
室町時代(1336年~1573年)中期に権大外記(ごんのだいげき)・中原康富(なかはらのやすとみ)が記した「康富記」1419年(応永26年)6月7日の条に「桙山已下風流、四条已下至五条、悉如例年結構云々、(略)浄居庵四条高倉桟敷構見物云々、」と記され、旧暦6月7日の山鉾巡行(前祭)では山鉾が四条通から松原通(五条通)を巡行し、四条高倉の桟敷で見物していたことが分かります。また「康富記」1450年(宝徳2年)6月14日の条に「風流山笠以下渡三条大路、」と記され、旧暦6月14日の山鉾巡行(後祭)では山鉾が三条通を巡行していたことが分かります。山鉾巡行ルートは「康富記」が記された室町時代中期頃に固定されたと言われているが、固定される前は将軍などの住居まで巡行することがありました。

【祇園祭山鉾巡行(前祭)解説 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
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