八坂神社の七不思議解説-修学旅行・観光の豆知識・雑学

八坂神社の七不思議は雨垂れがしない西楼門・夜泣き石・二見岩・龍穴などです。
八坂神社の七不思議を簡単にまとめてポイント解説します。七不思議には雨垂れがしない西楼門、夜泣き石、二見岩、本殿下にある龍穴、本殿の玄関にある龍吼、祇園神水と言われる力水、平忠盛の伝承が残る忠盛灯籠などがあります。(詳細下記参照)
【雨垂れ(あまだれ)がしない西楼門(重要文化財)】
- 西楼門の概要‐西楼門(重要文化財)は朱塗りで、四条通の突き当たりに建立されています。西楼門は不思議なことに屋根から雨垂れがしないことから雨垂れの跡が一切ないと言われています。また蜘蛛の巣が一度も張ったことがないとも言われています。なお楼門は1497年(明応6年)に再建されました。
- 西楼門の豆知識‐西楼門は八坂神社の正門ではなく、正門は南にあってその前には大きな鳥居が建っています。
【夜泣き石(よなきいし・夜啼石)】
- 夜泣き石の概要‐夜泣き石(夜啼石)は本殿の鬼門に当たる八坂神社の末社・日吉社(ひよししゃ)の前の木の根元にあります。夜泣き石は不思議なことに夜になるとシクシクとすすり泣くと言われています。
- 夜泣き石の豆知識‐日吉社は大山咋神(おおやまくいのかみ)・大物主神(おおものぬしのかみ・大己貴神(おおなむちのかみ))を祀っています。
【二見岩(ふたみいわ)・大神宮社】
- 二見岩の概要‐二見岩は八坂神社の末社・大神宮社(だいじんぐうしゃ)の内宮と外宮の2つの祠の間にあります。二見岩は地球の地軸に達するほど深くまで伸びていると言われています。
- 豆知識‐大神宮社は内宮に天照大神(あまてらすおおかみ)、外宮に豊受大神(とようけのおおかみ)を祀っています。
【本殿(国宝)下にある龍穴(りゅうけつ)】
- 龍穴の概要‐龍穴は本殿(国宝)の下にあり、龍が棲むほど底知れぬくらい深い井戸と言われています。龍穴は八坂神社から神泉苑(しんせんえん)や東寺(とうじ)に繋がっているとも、鎌倉時代に記された「釈日本紀(しゃくにほんぎ)」では竜宮に通じているとも言われています。なお本殿は1654年(承応3年)に江戸幕府4代将軍・徳川家綱が再建しました。
- 龍穴の豆知識‐龍穴が繋がっていると言われる神泉苑はかつて大内裏の南に接する場所に造営された禁苑(宮中の庭)です。869年(貞観11年)に行われた御霊会が八坂神社の祭礼・祇園祭の起源と言われています。また龍穴が繋がっていると言われる東寺(教王護国寺)は796年(延暦15年)に第50代・桓武天皇の発願により、西寺とともに国家鎮護の官寺として、都の入口である羅城門の東に創建されました。
【本殿(国宝)の玄関にある龍吼(りゅうぼえ)】
- 龍吼の概要‐龍吼は本殿の玄関の東の柱から西に向かって柏手を打つと音が大きく反響することから言われています。なお東の柱と屋根の庇の接点部分には龍が描かれ、龍が柏手に応えて鳴いているとも言われています。
【祇園神水と言われる力水(ちからみず)・大神宮社】
- 力水の概要‐力水は八坂神社の末社・大神宮社(だいじんぐうしゃ)の入口の右側から湧いています。力水を飲んで、八坂神社の摂社・美御前社(うつくしごぜんしゃ)にお参りすると美人になると言われています。ちなみに力水は祇園神水(ぎおんしんすい)とも言われています。なお美御前社前からは神水「美容水」が湧いています。
- 力水の豆知識‐美御前社は宗像三女神(むなかたさんじょしん)と言われる市杵島比売命(いちきしまひめのみこと)・多紀理比売命(たぎりひめのみこと)・多岐都比売命(たぎつひめのみこと)を祀っています。
【平忠盛の伝承が残る忠盛灯籠(ただもりとうろう)】
- 忠盛灯籠の概要‐忠盛灯籠は八坂神社の末社・大神宮社と摂社・悪王寺社(おくおうじしゃ)の間にあります。なお平忠盛は白河法皇に仕えていました。法皇がある五月雨の夜に祇園女御(ぎおんのにょご)の許に行く際、頭がキラキラと光り、右手に黒い塊・左手に光る物を持った鬼のようなものを目撃し、忠盛に討ち取るように命じました。しかし忠盛は正体を確かめる為に生け捕りにしようとし、鬼のよう見えたのが蓑を被って灯籠に火を灯そうとして僧であることが分かりました。法皇は忠盛の冷静な判断に感嘆し、その後灯籠は忠盛灯籠と言われるようになりました。
- 忠盛灯籠の豆知識‐忠盛灯籠の由来となった平忠盛は平清盛(たいらのきよもり)の父です。平忠盛は1096年(永長元年)に平正盛の長男として生まれました。1108年(天仁元年)に左衛門少尉(さえもんのしょうじょう)になり、1111年(天永2年)に検非違使(けびいし)を兼帯して都の治安維持に従事しました。1114年(永久2年)に白河法皇の寵妃・祇園女御(ぎおんのにょうご)に仕え、1117年(永久5年)に第74代・鳥羽天皇に入内した皇后(中宮)・藤原璋子(ふじわらのしょうし)の政所別当(まんどころべっとう)になりました。1120年(保安元年)に白河院(白河法皇)の昇殿を許され、1129年(大治4年)・1135年(保延元年)に山陽道・南海道の海賊を討って西国に平氏勢力の基礎を築き、内昇殿を許されました。また院庁に進出して院領荘園を支配し、九州の神崎荘(かんざきのしょう)で日宋(にっそう)貿易を行って経済力を築きました。
【八坂神社 備考】
*参考・・・八坂神社(七不思議・見どころ・・・)ホームページ