八坂神社北向蛭子社・八坂神社見どころ(修学旅行)

八坂神社北向蛭子社

●八坂神社北向蛭子社は1911年(明治44年)4月17日に国の重要文化財に指定されました。
●八坂神社北向蛭子社は江戸時代前期の1646年(正保3年)に建立されました。その後1662年(寛文2年)の寛文近江・若狭地震(かんぶんおうみ・わかさじしん)で倒壊し、1666年(寛文6年)に補修されたとも言われています。北向蛭子社はかつて平安時代に祀られ、日本三大えびすに数えられる大阪・今宮戎神社(いまみやえびすじんじゃ)の起源とも言われています。なお八坂神社北向蛭子社は事代主神(ことしろぬしのみこと)を祀っています。事代主神は八坂神社の祭神・素戔嗚尊(すさのおのみこと)の孫、大国主(おおくにぬし)の子で、商売繁盛・福の神です。
北向蛭子社では毎年1月9日・10日に祇園のえべっさんが行われています。祇園のえべっさんでは大判(おうばん)・小判(こばん)・鯛(たい)・俵(たわら)などの縁起物を飾り、商売繁昌・家内安全のご利益がある福笹が授与されます。祇園のえべっさんでは宵蛭子(よいえびす)に蛭子船巡行が行われ、七福神を乗せたえびす船・福娘・祇園太鼓などが八坂神社から四条烏丸間を往復します。
今宮戎神社は第33代・推古天皇の時代(593年~628年)に第31代・用明天皇の第2皇子・聖徳太子が593年(推古天皇元年)に創建した四天王寺(してんのうじ)の西方鎮護として祀られたのが起源とも言われています。また今宮戎神社は八坂神社の氏子が今宮に移り住んで、八坂神社の境内に祀られていた末社・北向蛭子社から分祀して祀ったのが起源とも言われています。
●八坂神社北向蛭子社は桁行三間・梁間三間で、流造(ながれづくり)のこけら葺(こけらぶき)です。両側面・背面に一間通りの庇付です。
流造は神社建築の一形式です。流造は正面入口にあたる屋根の一方(前流れ)が長く延びた形式です。流造は伊勢神宮(いせじんぐう)に代表される神明造(しんめいづくり)から発展し、奈良時代末期から平安時代に成立し、全国に広がりました。流造では上賀茂神社(かみがもじんじゃ)・下鴨神社(しもがもじんじゃ)がよく知られています。流造では正面(桁行)の柱間が1間(柱2本)の場合には一間社流造、3間(柱4本)の場合には三間社流造、5間(柱6本)の場合には五間社流造になります。
こけら葺は木材の薄板を使って屋根を葺く方法です。こけら葺は板葺(いたぶき)の一種です。板葺では板厚が2~3ミリの場合にこけら葺、板厚が4~7ミリの場合に木賊葺(とくさぶき)、板厚が1~3センチの場合に栩葺(とちぶき)と言われています。板葺にはヒノキ・サワラ・スギ・エノキ・トクサ・クヌギなどが用いられます。板葺は古墳時代から屋根に用いられるようになったとも言われ、茅葺(かやぶき)に次いで古いとも言われています。飛鳥時代(593年~709年)に建立された法隆寺(ほうりゅうじ)の五重塔(国宝)の屋根にも用いられています。
八坂神社見どころ

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