八坂神社疫神社・八坂神社見どころ

八坂神社疫神社

●八坂神社疫神社は江戸時代に絵馬舎(えましゃ)近くに建立されたとも言われています。1913年(大正2年)に現在の場所に移されました。2019年(令和元年)6月に祇園祭創始1150年記念して行われていた社殿の改修が完了しました。改修工事では社殿が塗り替えられ、銅板葺の屋根が葺き替えられ、社殿の補強も行われました。八坂神社疫神社には蘇民将来(そみんしょうらい)が祀られ、毎年7月31日に祇園祭の最後の行事である疫神社夏越祭(えきじんじゃなごしさい)が行われています。なお鳥居には扁額がなく、「疫神社」の文字が石に直接彫られています。
蘇民将来は体は人だが、頭に牛のような角が生えた八坂神社の祭神・牛頭天王(ごずてんのう・素戔嗚尊(すさのおのみこと))が后(きさき)を求めて旅に出た際、貧しいながら粟の粥で快くもてなしました。その後牛頭天王は竜女(りゅうにょ)と結ばれ、蘇民将来とその子孫に疫病の難から逃れる終生の加護を約束しました。蘇民将来が牛頭天王の教えに従って、茅の輪(ちのわ)を腰に付けたところ疫病を逃れることができ、子々孫々まで繁栄しました。ちなみにこの故事が祇園祭の粽の護符「蘇民将来之子孫也」の由来になっています。なお蘇民将来の弟で、富豪の巨端将来(こたんしょうらい)は宿を断り、牛頭天王によって一族は滅ぼされました。
疫神社夏越祭では神前に粟餅(あわもち)を供え、鳥居に茅の輪(ちのわ)を設けて厄除・無病息災を祈願します。茅の輪はくぐると厄除けのご利益があるとも言われています。なお疫神社夏越祭では蘇民将来之子孫也の護符も授与されます。
祇園祭は平安時代前期の869年(貞観11年)に神泉苑(しんせんえん)で行われた祇園御霊会(ぎおんごりょうえ)が起源と言われています。祇園御霊会では国の数と同じ66本の鉾を立て、悪霊を移して穢れを祓い、薬師如来の化身とされる牛頭天王(素戔嗚尊)を祀り、更に牛頭天王(素戔嗚尊)を主祭神とする八坂神社(祇園社)から3基の神輿を送り、病魔退散を祈願しました。
●八坂神社疫神社は流造(ながれづくり)の銅板葺(どうばんぶき)です。
流造は神社建築の一形式です。流造は正面入口にあたる屋根の一方(前流れ)が長く延びた形式です。流造は伊勢神宮(いせじんぐう)に代表される神明造(しんめいづくり)から発展し、奈良時代末期から平安時代に成立し、全国に広がりました。流造では上賀茂神社(かみがもじんじゃ)・下鴨神社(しもがもじんじゃ)がよく知られています。流造では正面(桁行)の柱間が1間(柱2本)の場合には一間社流造、3間(柱4本)の場合には三間社流造、5間(柱6本)の場合には五間社流造になります。
銅板葺は銅を薄くした銅板で屋根を葺く方法です。銅板葺は近世に本格的に始まり、神社・霊廟などに多く用いられています。銅板葺は瓦葺に比べると自重が軽くて耐震性があり、檜皮葺・こけら葺に比べると耐久性があるとい言われています。なお765年(天平宝字9年・天平神護元年)に奈良・西大寺(さいだいじ)で銅板葺が用いられたのが最古の記録とも言われています。
八坂神社見どころ

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