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八坂神社絵馬堂・能舞台・八坂神社見所(修学旅行・観光)
八坂神社絵馬堂・能舞台
●八坂神社絵馬堂は2020年(令和2年)12月23日に国の重要文化財に指定されました。
●八坂神社絵馬堂は江戸時代に建立されたとも言われています。絵馬堂には多くの絵馬が奉納され、明治時代に整理され、1910年(明治43年)に官幣中社八坂神社扁額集として刊行されました。
一般的に絵馬堂は大型の絵馬が奉納されている社殿です。
絵馬は社寺に祈願または報謝の為に奉納する絵入りの額や板絵です。絵馬は古来、神に生き馬を献じる風習が起源とも言われています。神はかつて騎乗した姿で現れるとされ、神輿(みこし)が登場する以前には移動の為の馬が必須と考えられていました。「常陸国風土記(ひたちのくにふどき)・奈良時代初期の713年(和銅6年)編纂」には第10代・崇神天皇の時代(紀元前97年~紀元前30年)から神事の際に生き馬を献上する風習が始まったと記されています。「続日本紀(しょくにほんぎ)・平安時代初期編纂」には神の乗り物としての神馬(しんめ)を奉納したと記されています。ちなみに平安時代初期の818年(弘仁9年)に第52代・嵯峨天皇が貴船神社(きふねじんじゃ)で黒毛の馬を献じて、雨乞い(あまごい)を行ったと言われています。その後貴船神社では雨乞いの際に黒毛の馬、雨止めの際に白毛の馬(晴天の象徴)・赤毛の馬(太陽の象徴)を神前に捧げて祈願しました。ただ生き馬を奉納できない場合、木・紙・土で作った馬の像(木馬・紙馬・土馬)で代用するようになり、奈良時代には板に馬を描いた絵(板立馬(いただてうま))が見られるようになりました。平安時代に板馬(板立馬)が多くなり、鎌倉時代に馬以外にも三十六歌仙なども描かれるようになり、江戸時代に絵馬堂・絵馬所に種々の趣向の絵馬が陳列されるようになりました。また江戸時代頃から家内安全・商売繁盛など実利的な願いをする風習が庶民に広まりました。
●八坂神社能舞台は1893年(明治26年)~1898年(明治31年)に建立されました。能舞台では1月3日の初能奉納で能が奉納されます。また祇園祭で石見神楽が奉納されたり、かるた始め式が行われたりします。
一般的に能舞台は能などを奉納する社殿です。
能は奈良時代に大陸から伝わった曲技(きょくぎ)・物真似(ものまね)・軽業(かるわざ)など中心とした散楽(さんがく)が起源とも言われています。「続日本紀(しょくにほんぎ)・平安時代初期編纂」には奈良時代の735年(天平7年)に第45代・聖武天皇が唐人による唐(中国)・新羅(朝鮮半島南東部)の音楽の演奏と弄槍(ほこゆけ)の軽業芸を見たことが記されています。平安時代に猿楽(さるがく)と言われ、鎌倉時代に猿楽の能と言われるようになり、能の古い形式である翁(おきな)を上演する座が結成されました。南北朝時代に大和猿楽(やまとさるがく)・近江猿楽(おおみさるがく)が大きな存在になり、奈良・興福寺(こうふくじ)に属した円満井座(えんまいざ)・坂戸座(さかとざ)・外山座(とびざ)・結崎座(ゆうざきざ)の大和猿楽四座が金春流(こんぱるりゅう)・金剛流(こんごう)・宝生流(ほうしょう)・観世流(かんぜ)の基になりました。室町時代に室町幕府3代将軍・足利義満(あしかがよしみつ)の庇護により、結崎座の父・観阿弥(かんあみ)と子・世阿弥(ぜあみ)の親子が能を大成させました。江戸時代中期に様式がほぼ完成したと言われています。能は演じる立方(たちかた)・声楽を謡う地謡方(じうたいかた)・器楽を奏でる囃子方(はやしかた)などで構成されています。なお能は明治維新前までは猿楽と言われていたが、明治維新後は狂言とともに能楽と言われるようになりました。
【八坂神社 備考】
*参考・・・京都・八坂神社(拝観料・アクセス・歴史概要・見どころ・・・)ホームページ
●八坂神社の歴史(創建から現在)を紹介しています。
八坂神社歴史(伊利之使主・円如)
●八坂神社の見どころ(本殿・西楼門など)を紹介しています。
八坂神社見どころ(本殿・西楼門など)