八坂神社玉光稲荷社・命婦稲荷社・八坂神社見所(修学旅行・観光)

八坂神社玉光稲荷社・命婦稲荷社

●八坂神社玉光稲荷社本殿は2020年(令和2年)12月23日に国の重要文化財に指定されました。
●八坂神社玉光稲荷社・命婦稲荷社は本殿南東に祀られている境内末社です。玉光稲荷社は江戸時代後期の1817年(文化14年)に建立されました。玉光稲荷社は八坂神社の祭神・素戔嗚尊(すさのおのみこと)の子神で、穀物の守護神・商売繁昌の神である宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)を祀っています。命婦稲荷社は玉光稲荷社の奥宮とされ、三狐神(みけつかみ)を祀っています。ちなみに命婦稲荷社は命婦が五位相当の女官で、稲荷神(宇迦之御魂神)のお使いである狐(きつね)がこの官位を授かったことから「命婦」の名前が付けられているそうです。玉光稲荷社近くには狛狐も建立されています。なお玉光稲荷社では3月の二午日(にのうまのひ)に春季祭、11月の二午日に秋季祭(お火焚(おひたき))が行われています。伏見稲荷大社では奈良時代初期の711年(和銅4年)2月初午の日に稲荷大神が稲荷山に鎮座したとされています。
宇迦之御魂神は素戔嗚尊の8人の子供・八柱御子神(やはしらのみこがみ)として、八坂神社本殿の西御座に祀られています。八柱御子神は宇迦之御魂神と八島篠見神(やしまじぬみのかみ)・五十猛神(いたけるのかみ)・大屋比売神(おおやひめのかみ)・抓津比売神(つまつひめのかみ)・大年神(おおとしのかみ)・大屋毘古神(おおやびこのかみ)・須勢理毘売命(すせりびめのみこと)の総称です。宇迦之御魂神は日本最古の歴史書「古事記(こじき)・712年(和銅5年)編纂」によると須佐之男命(素戔嗚尊)と大山津見神(おおやまつみのかみ)の娘・神大市比売(かむおおいちひめ)の第2子として生まれ、穀物の守護神とされています。ちなみにその第1子は同じ穀物の守護神である大年神(おおとしのかみ)とされ、境内末社・大年社にも祀られています。また日本最古の正史「日本書紀(にほんしょき)・720年(養老4年)完成」によると伊弉諾尊(いざなぎのみこと)と伊弉冉尊(いざなみのみこと)の子として生まれたとも言われています。伊奘諾尊が飢えた時に生まれたとも言われています。更に「諏訪氏系図」によると建御名方神(たけみなかたのかみ)と八坂刀売神(やさかとめのかみ)の子である八杵命(やきねのみこと)の子ともされています。宇迦之御魂神は「古事記」に「宇迦之御魂神」、「日本書紀」に「倉稲魂命(うかのみたまのみこと)」と記され、「うか(うけ)」は稲の神霊で、穀物・食物を意味し、穀物の守護神(女神)とされています。宇迦之御魂神は伏見稲荷大社(ふしみいなりたいしゃ)の主祭神として祀られ、稲荷神(お稲荷さん)として信仰されています。
三狐神は農家で祀る田畑の守り神とされています。ちなみに迦之御魂神は御饌津神(みけつのかみ)とも言われ、三狐神とも記されています。
●八坂神社大年社は一間社流造(ながれづくり)の銅板葺(どうばんぶき)です。
流造は神社建築の一形式です。流造は正面入口にあたる屋根の一方(前流れ)が長く延びた形式です。流造は伊勢神宮(いせじんぐう)に代表される神明造(しんめいづくり)から発展し、奈良時代末期から平安時代に成立し、全国に広がりました。流造では上賀茂神社(かみがもじんじゃ)・下鴨神社(しもがもじんじゃ)がよく知られています。
銅板葺は銅を薄くした銅板で屋根を葺く方法です。銅板葺は近世に本格的に始まり、神社・霊廟などに多く用いられています。銅板葺は瓦葺に比べると自重が軽くて耐震性があり、檜皮葺・こけら葺に比べると耐久性があるとい言われています。
【八坂神社 備考】
*参考・・・京都・八坂神社(拝観料・アクセス・歴史概要・見どころ・・・)ホームページ
●八坂神社の歴史(創建から現在)を紹介しています。
八坂神社歴史(伊利之使主・円如)
●八坂神社の見どころ(本殿・西楼門など)を紹介しています。
八坂神社見どころ(本殿・西楼門など)

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