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空也上人ゆかりの井戸と藤屋・八坂神社見どころ(修学旅行)
空也上人ゆかりの井戸と藤屋
●空也上人ゆかりの井戸は境内の南側に建立されている鳥居(重要文化財)から南楼門(重要文化財)に通じる表参道の西側にあります。平安時代中期の925年(延長3年)に第60代・醍醐天皇(だいごてんのう)を始め、人々が疱瘡(ほうそう・天然痘(てんねんとう))に罹って苦しんでいました。空也上人はその惨状を見かねて八坂神社に参篭して病気平癒を祈念し、八坂神社境内から沸く井戸の清水を白湯にして人々に施すと人々は癒されたと伝えられています。その後藤屋という茶店が営業するようになり、東側の茶店(中村楼)とともに二軒茶屋と言われるようになりました。藤屋の屋号は傍らにあった藤棚に由来しています。藤屋では初代・主人が八坂神社参拝者に空也上人ゆかりの井戸の清水を白湯にして呈し、参拝者は白湯を呑んで身を清めたことから藤屋はきよめの茶屋とも言われました。ただ藤屋は1868年(明治元年)まで営業していたが、現在は空也上人ゆかりの井戸だけが残されています。
空也上人は平安時代中期の903年(延喜3年)に第60代・醍醐天皇(だいごてんのう)の皇子として生まれたとも言われています。また第54代・仁明天皇(にんみょうてんのう)の皇子・常康親王(つねやすしんのう)の子として生まれたとも言われています。ただ自らは出自を語ることはなかったと言われています。922年(延喜22年)頃に尾張国分寺で出家し、空也と名乗りました。若い頃から播磨・四国・奥羽など諸国を行脚して山林修行し、「南無阿弥陀仏」を唱えながら道路・橋・井戸を造ったり、寺院を建立したりし、貴賤(きせん)を問わずに帰依されました。938年(天慶元年)以降は京都で念仏を広め、948年(天暦2年)に第15世天台座主・延昌(えんしょう)のもとに受戒し、号・光勝を授かり、貴族にも布教を広めました。951年(天暦5年)に悪疫退散の為、自ら金色の1丈の十一面観音を刻み、車に乗せて市中を曳き廻したと言われています。また6尺の梵天像・帝釈天像・四天王像も造仏しました。応和年間(961年~964年)に六波羅蜜寺(ろくはらみつじ)の前身である西光寺(さいこうじ)を創建しました。963年(応和3年)に鴨川の河原で金字大般若経供養会を大々的に修しました。空也上人は口称念仏の祖で、道路・橋・井戸の整備や遺棄された骸を荼毘(だび)にするなどの社会事業を行い、市聖(いちのひじり)・市上人・阿弥陀聖(あみだひじり)とも言われました。なお空也上人は972年(天禄3年)10月20日に西光寺(六波羅蜜寺)で亡くなりました。
中村楼は室町時代後期に創業し、480年の歴史があるとも言われています。また1550年(天文19年)頃に創業したとも言われています。八坂神社ではかつて南側に伸びる表参道に二軒の茶屋が向かい合ってあり、二軒茶屋と言われていました。二軒茶屋は田楽豆腐が名物で、調理の様子は京の名物だったそうです。中村楼は二軒茶屋の内の柏屋の流れを受け継いでいます。
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