八坂神社御供社(又旅所)・八坂神社見どころ

八坂神社御供社(又旅所)

●八坂神社御供社(又旅所)は元々794年(延暦13年)の第50代・桓武天皇による平安京遷都の際、大内裏(だいだいり)の南(南東)に接する場所に天皇御遊(てんのうぎょゆう)の為に造営された禁苑(宮中の庭)の一部でした。863年(貞観5年)に疫病を鎮める御霊会(ごりょうえ)が行われ、869年(貞観11年)にも御霊会(祇園御霊会)が行われ、八坂神社(祇園社)から神輿が送られました。その後斎場が設けられ、八坂神社の神輿3基を奉安して神饌を供えるようになりました。1873年(明治6年)に村社に列し、1906年(明治39年)に村社を廃し、八坂神社の境外末社になりました。八坂神社御供社は御旅所に対して、又旅所とも言われています。
禁苑は古京都湖(古山城湖)の池沢などを庭園に整備しました。大池・泉・小川・小山・森林などを取り込み、主殿の乾臨閣(けんりんかく)・右閣・左閣・西釣台・東釣台・滝殿・後殿などの宮殿が造営されました。禁苑は北側の二条通・南側の三条通・東側の大宮通・西側の壬生大路に囲まれ、南北約500メートル・東西約240メートル(南北4町・東西2町)に及びました。平安時代初期の800年(延暦19年)に第50代・桓武天皇が行幸し、802年(延暦21年)に雅宴(がえん)が催されたとも言われています。また812年(弘仁3年)に第52代・嵯峨天皇が花宴の節(かえんのせち)を催したとも言われています。その後824年(天長元年)に真言宗(しんごんしゅう)の開祖である弘法大師(こうぼうだいし)・空海(くうかい)が第53代・淳和天皇の勅命により、北印度の無熱池の善女龍王(ぜんにょりゅうおう)を勧請して祈雨を行ったと言われています。863年(貞観5年)に疫病が流行し、疫病を鎮める御霊会(ごりょうえ)が行われました。869年(貞観11年)にも御霊会(祇園御霊会)が行われ、八坂神社(祇園社)の祭礼・祇園祭の起源になりました。その後鎌倉時代以降に荒廃し、1603年(慶長8年)に江戸幕府初代将軍・徳川家康(とくがわいえやす)が二条城を築城した際、敷地の大部分(北部)が二条城に組み入れられ、規模が大きく減少しました。江戸時代初期の1607年(慶長12年)から筑紫の僧・覚雅(かくが・快雅(かいが))が朝廷の許しを得て復興に着手し、弘法大師・空海とのゆかりにから東寺真言宗の寺院・神泉苑(しんせんえん)になりました。神泉苑の整備には京都所司代・板倉勝重(いたくらかつしげ)や豊臣家の直参家臣・片桐且元(かたぎりかつもと)が協力しました。
八坂神社見どころ

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